ゴミ屋敷解決に向けてへの過程【ゴミが捨てられない障害】

一軒家の実家をゴミ屋敷にしてしまう母親。母の気持ちに寄り添った解決を目指しています。

家をゴミ屋敷にする母親の気持ちを聞いて思った、「自律」と「尊重」【ゴミが捨てられない障害】

先日、ゴミ屋敷にする母親の気持ちに寄り添って話を聞く、

 

ソクラテス問答法で質問を重ねることで、

 

何故ゴミ屋敷になるかの本質を探る話をしました。

 

 

 

実際、母親の気持ちはどういうものだったかを紹介したいと思います。

 

ちなみに、病院へは、まだ行っていません。(精神科は予約いっぱいで。)

 

前回も紹介しました、母親の状況はこんな感じです。

 

 

ゴミ屋敷にする母親の状況

  • 片付けが出来ない。(しようとしても全然進まない)
  • 物がたくさんある。ゴミとして捨てられない。
  • スーパーの買い物で、必要ないものを沢山買ってきて、使わないで放置される。(冷蔵庫は満杯。そこら中腐ったものが溢れる。)
  • 強制的に片付けると、ものすごく怒る。
  • ひどい時は、無理やり片付けたゴミをごみ捨て場から持って帰ってくる。
  • 片付けて機嫌が悪くなると、人としても信頼出来ないくらい性格が悪い。
  • ただ、汚い家は世間的にも良くないとは思っている様子。どうにかしたいとはどこかで思っているが、言っていることとやっていることが逆。

 

ただ、社会生活は普通に出来る。

仕事も、大手食品メーカー入社後、生命保険の生保レディや要資格の化学系の社員などの仕事もこなし、現在もペン字の先生もしている。

更に、町内会自治会の会長などもするくらい、社会生活は普通に出来るのに。

 

 

 

 

さて、信頼回復のもとに母に話を聞きながら、なんの精神障害なのかを色々探りました。

 

結論からいうと、今一番疑っているのは

 

溜め込み症です。(まだ疑いだけど、全てあてはまあるので)

 

この病気にたどり着くまでに、沢山時間がかかりました。

 

なぜなら、2013年にアメリカで新しく病気だと位置づけられたばかりなので、

 

まだ浸透していないようです。

 

もし、原因がわからなくて悩んでいる方がこの記事を見てくださっていたら、

 

検索すれば、溜め込み症でいくつかの貴重な記事がありますので、

 

それ見て頂ければ良いと思います。

 

 

 

うちの母に対して、それまでに疑った病気は

 

発達障害+強迫性障害

 

ですが、

 

発達障害だと、社会性や人間関係では問題ない母には当てはまらないからです。

 

 

強迫性障害に関しては、もしかしたら多少は有るのだと思いますが、

 

今、現在、強迫性障害の原因だと思う、父から距離を置いても、

 

物に対する執着が凄いということが解りました。

 

 

今、母は頑張って片付けをしていますが、

 

大量にある洗濯洗剤が捨てられないらしい。

 

 

多分それは、半額など安くで買った洗剤なんだろう。

 

 

おそらくうちの母は、お得に買ったものを溜め込む症では?

 

 

と思っています。

 

 

私が子供のころは、母のことを凄く「お金への執着」、「ケチ」だと思っていたが、

 

 

そこは通じるものがあるかもしれない。

 

 

ここからは、母に聞いた話から、家族、親族との関係、などから、

色々気持ちを読み取った内容です。

 

 

ちなみに、現在は、一軒家のゴミ屋敷に住む母すぐ近くに別居する父

すぐ近くに妹も住んでいますが、ゴミ屋敷の改善に母への働きかけを努めたものの失敗していて母とは縁を切りたいと言っています。

私は長女で結婚後、会えるけど少し離れたところに住んでいますので今のゴミ屋敷の現状を知りません。

そのため、冷静に話ができるのだと思います。

 

 

  • 母は、結婚する前から父に対して多少の強迫性を、今思えば感じていたらしい。結婚も半強迫であった。

 

  • 父は高学歴で道徳もあり、正義感も強いので悪い人では無いと認識しているが、人に対して偉そうな部分がある。そのため、逆らうと面倒なので母は自分の気持ちを抑え、言うことを聞いていた。

 

  • かなりの亭主関白家庭であった為、家庭では育児も家事もしなくては行けなかった。(これは、私の考察では当時の時代背景もあるような気がする。田舎から都会に出てきて、育児相談も当時は浸透しておらず、男性優位の時代。母みたいな女性は多かっただろう。)

 

  • 母にとって、父が家に居る休日が恐怖だった。結婚前は日曜はゆっくり休めると思ったらその逆だった。(恐怖を感じるのは強迫性の部分かと思う。)

 

  • 強制的に片付けられると、必要なものまで捨てられるから嫌だ。(母の気持ちが尊重されていない。母にとっては必要な物だったんだろう)

 

  • 大事件としては、そこらへんに放ってあった母にとって大切な物が入ったかばん(宝石や手紙等)が知らない間に捨てられていた。(母は放ってたのではなく、置いていた。母が仕事に行っている間に、ゴミ屋敷を強制掃除を無断でした家族への怒り)

 

  • 父の病気の事を多少理解して母の身を気遣う言葉を母に伝えたが、母にとっては今更という気持ち。

 

  • 父が体調を崩したとき、母は介抱を嫌がった。その時、母が父に言ったのは、「いつまであなたの世話をしなければいけないのか」(これは、子供の居る母親なら気持ちが少し解るのではないだろうか。子供の世話(育児)だけで忙しいのに旦那の世話(家事)までしなければいけないという感覚は私もある。私自身はそれを旦那と話し合って解決したが、自己分析できない母にはうまく説明できなかったか、父に話しても無駄だと思ったか。根底には家での女性のおおきな負担があると思う。愛が無ければ道徳も後回しになるか。これで父はとても怒ったのだが。。。)

 

  • 母は離婚して、自由になりたいが、金銭的な問題がある。母は少しの年金と働くしかないが、年金も含めて圧倒的に父の収入が多い。簡単には決意出来ない。それに対して父は責任感が強く、母を最後まで守ると言っている。(意見が噛み合わないね〜)

 

  • 母は、1人になれば、物を買わないようにして掃除ができるようになると思っている。(溜め込み症あればそれは無理だろうと思うが、ここは話を聞こう。)

 

  • 母は片付けは、「時間がかかるが自分でしたい」と思っていた。期間を決めてここまでに片付けろと言うのは嫌だ。(それを母が決めた期間であっても。)自分で家を綺麗にして家族に返したい。→ 結局片付けはなかなか進まない → (現在は)家を渡したくない(モノへの執着が凄い。そして、私は片付けに期間を決めるのはよく無いと思った。こちらは早く片付けたいのだが、病気の影響があるので、片付けはその後であると気がついた。

 

  • 病院には行くことになったが、いつも話を逸らそうとしたり、事前問診も面倒そうだったので、聞いてみるとあまり行きたくないらしい。何故、行きたくないのか聞いたら、それで良くなるとは思っていないかららしい。20年前に精神科に行ったときに薬が全く意味無かったから。2回病院に通って辞めている。(病院に行かせるためには、孫と遊びに連れていったり、何気ない普段の話を充実させることで信頼関係を築くのが重要だと思う。また、病院に行きたくないと言われると他に手の打ち用が無いこと、病院に行ってくれることで、私は安心するんだと母に伝えると了承してくれました。)

 

  • 母に聞くと、病院に別日で父が話を聞きに行くことは構わないらしい。

 

  • 父と距離を置いて2ヶ月だが、母はとても調子が良い。私は、父とも話をして強制片付け絶対にしないと母に約束している。それだけで母は気持ちが楽になり、片付けがはかどるようになったと言っている。(ただ、一般的な人で考えると片付けのペースは遅いので溜め込み症の影響かと考察する。)

 

  • 母は、ゴミ屋敷だが、人間関係には問題が無い。定年後はアルバイトや教室の先生をしていて、生きがいは食べて、寝ることができたらそれで良いといっている。

 

 

母が、自分が片付けが出来ない理由は「自分は発達障害なんじゃないかと思う」という言葉から、今まで間違った対応をして来たんだという事に気が付きました。

 

幼児教育を少し勉強していたので、

 

発達障害の子供にについて、

 

その子のありのままを受け入れて、伸ばしていく。そして周りが理解してサポートする。

 

ということを元々知っていました。

 

 

大人の精神障害も一緒ですね。

 

 

母のありのままを受け入れる。

 

 

これを私も含めて家族みんなが出来なかった。

 

何故気づけなかったのか。

 

  • 精神病でないかと疑っても、本人が病院に行かなければ、よく分からない。
  • 本人と対話しようとしても話にならない(今思えば片付けの話は良くない)
  • 問題の中心が「片付け」である。(今思えば問題は精神障害
  • 母の苦労が理解らなかった。(子を持って知る母の苦労)
  • 心理学を理解していなかった。(子供の教育を勉強して「自律」「尊重」の関係を知った。よく考えたら幼児教育が発達心理学だった)

 

 

私が偶然ですが、我が子の国立小学校の受験で勉強していたことが、

 

実は心理学に基づいているんだと気がつきました。

 

幼児教育では発達心理学と言います。

 

「子供が自発的に物事に取り組んでいける環境を作ることで、

子供は失敗しながら、気付きながら勝手に伸びて行く」

 

の真理のもとに子供の教育を目指すと考えます。

 

そこには「自律」と「尊重」が大きく関係しており、

 

子供を自由にさせれば、責任感が増し一人で考えて出来るようになる。

子供の他人へ思いやりを育むには、まずその子の考えを親が受け入れて自尊心(自分に自信が有る)を育む。

 

 

これを大人にあてはめれば、

 

「自律」には、「自由には責任を伴う」

「尊重」には、「他人を尊重するにはまず自分が尊重される」

 

と言えるのかな?と思います。

 

母は、家の中で父の「亭主関白」と「子育て」と「家事」で「自由で無かった」と考えます。

父の偉そうな態度から、母は自分の意見を言わない為、意見が尊重されることがなく、

いざ片付けも母の意見は尊重されることは無かった。

その為、家族への尊重の気持ちは無く、不都合な事は家族のせいにするなど、「責任感」もありません。

 

人間関係の中で、「自由である」「尊重される」ということはとても大切なことだと思いました。

 

それは、夫婦であっても、子供でも。

 

気づかない間に、意見を押し付けているかもしれません。

 

また、これがわかっても問題が解決できるように、自己分析、状況分析が出来ることも大切だと思います。