ゴミ屋敷解決に向けての過程5【精神科・初カウンセリングの日】【ゴミが捨てられない障害】
先日、2回目の精神科へ母と行ってきました。
この日、私にとってはとても良い日になりました。
ゴミ屋敷解決に向けて解決への希望の光がはっきりと見えました。
真っ暗で何となく光がみえるかなというイメージから・・・
確実な変化です。
この日あった出来事は、
- 前回ブログで病理を詳しく書いたが、母の片付け出来ない理由が何なのか、私自身が理解できたこと。「神経質」が原因だと確信できたこと。
- 母が、感情を出したこと(激しく泣いたこと)→母にのしかかる重荷
- やっと父が、自分自身が母を理解しようとする努力が足りなかったことを悟った。
特に、父がこの日悟ってくれたのは、問題解決に向けてプラスへ転じていく為には、
欠かせない悟りです。
これまで父と話をするのも、、、本当、大変でした。
やっと、まともな話が、母とも、父とも出来るって感じ。
これらを、以下に詳しく書いていこうと思います。
前々回に書きました、母が腎盂腎炎で救急入院した事件から、
父との仲は少し進展があったようで、
たまに一緒に出掛けたりするたりしているらしい。
ただ、父への不満は沢山あるということには変わりないらしい。
でも、電話でも声に張りがあり、一時期の最悪の状態に比べると、
母はかなり精神的に回復してきている実感がある。
それは、緊急入院して父が助けてくれたというきっかけは大きかったのだと思う。
さて、クリニックでは、まずカウンセリングから入りました。
全部で50分のカウンセリングです。
金額は5500円で、完全自費となります。
話を色々聞いてくれるのですが、カウンセラーただ聞いているだけでなく、
本人の口から問題の原因や解決方法まで引き出してくれます。
私が悩んでいた20歳くらいの頃、私の友人が何気なくカウンセリングをしてくれました。
友人が色々私質問をして、それに答えていたのですが、
実は私自身が最後に結論を出していて、
友人に、それが答えなんだね!って言われて「はっ」としました。
誰かにアドバイスをされるより自分で答えを見つける方が納得できるのです。
その助けをしてくれるのが、精神科やカウンセリングです。
ちなみに私の父は、精神科やカウンセリングで、病名を言われてそれを治すと思っているようだが、
それは違う。
本人も家族も、本当の病名を言われても、反発心しか出てこない。
答えだけ言われても、そんなのおかしい。または何を言っているのか解らない。しか感じないのだ。
(あとで書くが、父がそうだった。何度、病理を説明しても受け入れてくれない。なぜなら、本人も家族も、無知な上に方向を見失って自分自身考えにとらわれているのだ。)
そう、「片付けられない」の本質が「神経質のせい」だと言うのだ。
普通に考えたら意味が解らない。
でも、数学のように答えだけ見ても解らないが、
途中の式を理解すれば納得が行くと思う。
それが、問題解決へ向けての課程である。
それがないと、答えがあっても意味がない。
その理解というのは、「悟り」や「解った」や「気がつく」、「目からうろこ」になる。
この「悟り」の後は、人は別人になる。
私自身もこのゴミ屋敷解決で悟ったことが山ほどあり、
人生の考え方が変わった。
さて、話がズレたが、カウンセリングへは、私も一緒に入った。
普通は一人でカウンセリングするのが良いのだと思ったが、
母は私が一緒で良いと言う。
母は私のことを信頼してくれているのだろう。
カウンセリングでは、ほぼ前回精神科の先生(医師)へ話したことと変わらないことをカウンセラーに話した。
私が知らなかった母の心境としては、
- 屋上の雨漏りをどうにかしたいと思っているが、ゴミ屋敷で修理人を入れることが出来ないと思っている。
- 母が先生をやっている書き方の教室の人数が減っている為気がかり。
それくらいだが、
悩みを全然自分とは関係のない第三者に伝えて受け取ってもらえる。
これは、どんなに頑張っても、問題に発展しまった家族には出来ないのだ。私も含めて。
カウンセリングはあっという間に終わり、次のカウンセリングの予約をした。
母はカウンセリングの重要性を感じたのではないかと思う。
さて、このカウンセリングがあったから母は自分の悩みが整理されたのだと思う。
クリニックのあと、マクドナルドでお茶しながら母と話をするようにしている。
そこで、話をしていると母が泣き始め、大きく感情を出した。
母が家族と大きく溝が出来た時期にあった事件「かばん捨てられた事件」だ。
そのかばんの中には母の大切なモノが色々入っていたが母が外出中に誰かが勝手に掃除をして捨てたのだ。
宝石なども入っていたが、何より「結婚する時に母の兄にもらった手紙」が入っていたようで、
の中には、禅寺にあったらしい説教が書かれていた。
それを、母は、弟が就職する時に見せてやりたかったのもあるという。
40年大切にしていた手紙だ。
かなりショックだったらしく、誰が捨てたのか探らないまま、母は父のせいにしていた。
、、が、実は、私の妹が捨てていたのだ。
私は父ではないことを知っていたが、
その時は母が父への執着が凄かったので反発心が出ると思い、ずっと黙っていた。
それが、母に今回話を聴くと、捨てたのは父ではないと結論付けていた。
かなり、母の中で感情や出来事の整理が出来るようになってきていると感じている。
これは、問題解決へプラスの働きだ。
ちなみに、母に「その手紙は「生きがい」だったんじゃないの?」
とぶつけてみたら、
「そうだったんだろうな。」
と即答。
ちょうど母に貸していた神谷恵美子の「生きがいについて」の本を返してもらったところなので、
「生きがい」について聞いてみると、「喜び」「楽しい」という認識は持っているようで、
「ちなみに「生きがい」を失った時、どうしたらいいかも本に書いてあったよ。」というと、
「そこまで読めていない。」と。
母は、本が分厚すぎて読めなかった、
自分の気持ちがマイナスなときには、「生きがいについて」は、気分が悪くなるらしい
。
自分の気持ちだけで苦しいのに、他人の苦しさまで本で読んでいられないのだ。
・・・・なるほど、そうなるかと思った。
私は、生きがいを失った時にどうしたらいいか、本に書いてあったことを、身近な例をとって説明した。
母は聞いていたが、・・・・納得は出来ないようだ。
その時私が感じたのは、なるほど、精神科の先生が言っていた通り、
先に、母自身が抱えている「心の荷物」を下ろしていかないと、
希望には向かえないのだなと感じた。
この荷物下ろしは多分、家族との人間関係が一番大きいのかな。
精神科の先生と。「片付け出来ない心理」について
さて、「片付けが出来ない」にも種類があるのだと思いますが、
心理カウンセラーさんの質問の中に、
「モノが捨てられないですか? ゴミが捨てられないですか?」
というのがありました。
これは、ゴミが捨てられないには鬱の傾向、モノが捨てられないには溜め込み症の傾向かな?→私の予想ですが。
母は両方ですと答えました。
なるほど、精神障害は色々複合されるらしいですから。
前回、ブログで書きました、私の「溜め込み症」の病理の予想を
精神科の先生に聞いてもらったところ、先生は全く否定されなかったので、
おおむね、そういうことなのだと思います。
私が先生に聞いてもらったのは、以下のことです。
「何かに使えないか、モノを大切にすること」へのとらわれ
精神科で先生と話をして、母は少し自分のことを客観的にみれるようになったと思う。
そして母の話を聴くことで、父にも原因があるんだと解った。
ただ、片付けに関しては「?」な部分がある。
母が言っていたことで気になる発言。
「一つのものを捨てる時に、コレがなにかの役に立つんじゃないかと思って、考えたら時間がかかる」
この発言が気になっていて、ある日、
「森田療法で読む強迫性障害」という本を読んでいて気がついた。
今まで、母はモノが有ることで安心を得ていると思っていたが、
そうではなく、「神経質による完全主義」が原因で、
本来「モノを役に立たせる」と言うの本当の目的を見失っている。
以前「部屋を異常に綺麗にする人と異常に汚くする人の病理は同じだ」というのを聞いたことがあるが、この本を読んで納得できた。
多分、母は、
ひとつのモノが役に立つと思って一生懸命捨てないで頑張っているが、役に立たせる目的は達成出来ていない。
そして、余計頑張る。
役にたたせなくては行けないという完璧にとらわれすぎて、目的を見失っている状態だ。
ただ、じゃあこれからどうしたら治るのかというのは今解らない。
というのを先生に伝えたところ、淡々と聞いて下さり、
「部屋を異常に綺麗にする人と異常に汚くする人の病理は同じだ」のところでは「すごいですね」と言いながら聞いてくださったので、先生の考えと全く違うのでは無いのだろうと思う。
これからどう治すのかへの先生の答えはこうだ。
まずは、本人にある重い荷物を下ろすことが先ですね。今、それを伝えても本人には反発心が出ますから。
なるほど!
母に言うか言わないか迷っていたが、
母には退出してもらって先生に伝えたのは正解だった!
強迫性障害を治すにあたって、行動療法などあるが、いつするのだろうか?と聞いてみた。
カウンセラーが必要だと感じた時にするという答えだった。
最後に、治療には個人差はあると思うがどれくらい時間がかかるか聞いてみた。
大体、半年くらいで考え方が変わる人が多い。という答えだった。
この、目安となる期間を教えてもらえるのは、なんと安心できることか!!!
考え方が変わるというのは、要は悟る、気がつくという事だと思うので、やっとそこから治療となるのだとおもうのですが、
早く、母にはそうなってほしいなあ。
そうなったら、大きく物事が動いていく希望が見えます。
解決の課程を体験しないと、病理は受け入れられない。
さて、父にこの病理を説明しました。
希望を持って、ウキウキで説明しました。
「何を言っているのか解らないかも知れないけど・・・(病理の説明)」って言いながら・・・
やっぱり、父には私が何を言っているのかわからないらしい。
父「それは先生と私はそうかもしれないけど、考え方は色々あるとおもう。」とまで言う始末。
あああああ、そうか。
父は、この病理を受け入れられないのだ。
私が言っても、娘が言っているのは、父からすると思想なんだろう。という感じだ。
もうこれは説明しても意味がないので、
父がこれから母と接する上で、大切なことを気づかせる為にヒントをだしてみた。
母はこんな考えをしていると父に伝えた。
母が、父と山登りに行きたいと考えた・・・でも、父は上手に準備出来ないし嫌やねん
ご飯が足りなかったから父がコンビニ買いに行った・・・でも200円のチラシ寿司買ってきたからもっと良いもの買ってこいよと思った
私「母は神経質だからこんなところまで考えているんだよ。こういう時、どうする?」
と聞いてみた。
父「そんなことは言ってくれないとこちらは解らない」
私「でもお母さんは、お父さんには言えないって言ってるよ。そんなときにお父さんにはできることがあるよ。なんだろう?」
父は怒りながら「聴くってこと?」
私「そうだ!それが答えだよ。お母さんに「どうしたの?」「どうして怒っているの?」って聞けば問題にならない。今回の問題は『お母さんの神経質』と『お父さんの聴く努力の無さ』が原因だ。」
ここまで行くと、やっと父も気がついた、悟ったようだ。
父が変わったようだ。
今気がついたが、そういう意味では父は『自分の気持ちは自ら言わなければいけない』いう考えにとらわれていたのかもしれない。
今回はこんな感じだ。
何より、私が知ること、気がついたことで、希望の光がしっかりみえるようになった、
『私のセルフカウンセリング』が終わったようだ。
このブログに書くことで。
これからは、ゴミ屋敷解決に向けて地道に母の問題に向き合おうと思う。
ゴミ屋敷解決に向けての課程、初期は本当に素人らしい予想もしていたが、
それも課程として大切だと思う。
そういう意味でも、初期課程から書いているのは意味が合ったなと思う。