ゴミ屋敷解決に向けてへの過程【ゴミが捨てられない障害】

一軒家の実家をゴミ屋敷にしてしまう母親。母の気持ちに寄り添った解決を目指しています。

ゴミ屋敷解決に向けての過程10【精神科へ母だけで行く】【ゴミが捨てられない障害】

2月初めに病院へ行く予約が入っていたが、

 

我が家がコロナ陽性となり、母だけで行ってもらうことになった。

 

母がこのときの病院へ行く前に、私は父にも電話で久しぶりに母についての話をしたが、ごれがまた大変なことになった。

 

いつもいつも、父とこの件についての話をすると疲れる。

 

ただ今回、この話が何故うまく父に伝わらないのかが解った気がする。

 

私が、母についての話をすると、いつも堂々めぐりで、下のような話をする。

 

「自分は単身赴任から帰った7年前から、あの家にいてもう大変なんだ。別の所に家も借りて、その分のお金も勿体ない。お母さんが良くなるのは直ぐではないと思うが、もう自分も年をとっているから、片付けできるのがいつになるんだろう、となるわけだ」

 

上のように思うのは普通のことで、誰しもがそう思うであろう。

 

最初は、父にも片付かない家へのストレスが溜まっているので、

 

母を理解することへ抵抗があるのかなと思っていたが、

 

最近は違うような気がしてきた。

 

 

それが明確に解ったのは、母の件ではないが、

 

私の弟の就職についての話をしたときに、

 

「スキルに関しては、お父さんの方が知っている」と言ってきたこと。

 

その時、私は完全にブチギレてしまったのだが、

 

それが、何故か、父の嫌な感じが何なのかと自分で考えたときに、

 

父の「マウンティング」に耐えられなかったという事に気がついた。

 

 

 

だから、今まで話がうまく行かなかったのは、

父が「マウンティング」をして、私も「マウンティング」しようとしていたからじゃないかと思う。

 

 

それをさらに考えていくと、私が子供のときから、

 

父には「おまえは大したことないな」「お父さんは努力したんだ」

 

などと言われて、褒められた記憶がない。認められた記憶もない。

 

 

・・・ここだけ聞くと父を悪く言っているが、そんなに悪い人ではない。

 

父のイメージだが、

人格は悪くないし、むしろ人道的だが、理論的に物事を考えて自分で正しいかどうか判断するから、人の感情までは考えていないだろうという

 

ざっくりとした私の中の父のイメージ。

 

 

そして「マウンティングをする人」を調べてみると、

 

母が言っていた、父に対する不満が見事に書かれていた。

 

母も私も、父の「マウンティング」に嫌気がさしていたのかもしれない。

 

 

 

マウンティングする人に共通するのが、

 

「自分と相手を比べて優劣をつける」ことを無意識でやっていることらしい。

 

例えば、母に聞いた話でいうと、

 

会社で父が就職面接を受け持ったとき、東大生を落としたというのを祖父に話すと、

祖父は「おまえも偉くなったもんだな〰」という会話を聞いてうんざりしたらしい。

(もちろん、実際あった話を冗談気味に言っただけだと思うが・・)

 

これは外部から聞くと、冗談に聞こえない・・・頑張っている就活生が可愛そうだ。

 

これは、深層心理として、九州大学卒であった父が、東大生を不採用にしたことへの優越感からくる冗談だろう。

 

そして、それを冗談として聞ける祖父にも、その要素がかなり強かっただろうと

多面からの情報により私は分析している。

 

 

 

ちなみに父は、学歴も経歴も名誉も手に入れている。

 

仕事はうまく行っているのは、どこかで優劣をつけながらも、

上には上がいることもちゃんと理解っているからだと思う。

 

実際、私の夫に聞いても、父と話をしていてマウンティングをするイメージは無いという。

 

確かに!!

 

人前で話すときはそんなにマウンティング要素感じない。

 

 

ただ、家族(妻や子供)に対しては、「知識の領域」で明らかにマウンティングしてくる。

 

父は自分の方が知っている、あるいは正しいと感じたら容赦なく相手を否定するし、受け入れようとしない。

 

これが、私を疲れさせるし、母を言っても無駄だと諦めさせる原因だと思った。

 

 

 

はじめた頃のブログでも確か、父の「自己愛性パーソナリティ」について触れたが、

私は母の事ばっかり調べていて、父のことを理解出来ていなかった。

 

それが理解って、父が実はガラスとハートの持ち主だということも理解った。

 

父は、自分を優位に置くことで自己肯定感を保っていると考えられる。

 

それが、まさにその通りだと思うのは、

 

電話で私が耐えられなくなってブチギレて、

 

「さっきから聞いてたら自分の主観ばかりじゃないか」と言うと、

 

珍しく父は急に自己否定に陥った。(こんなことは今まで無い)

 

「もう、駄目なのかな・・・お母さんと別れたほうがいいのかな」

 

という感じだ。

 

このとき私は、(なんて白黒思考・・)と思ったが、

 

父の考えを尊重するため、「そうだね、そういう考え方もあるね」とイライラながらに答えた。

 

その時は、その微妙な空気で電話を終えたが、

 

私はこうなったことを何も後悔していない。

 

それはカウンセラーさんの言葉で、私の「父と母のことで私がしてきたことは間違ってたのでしょうか」の質問に「間違ってたことなんかこの世に無い」ということに確信を持っている。

 

父には悪いことをしたと思うが、

 

これが父にとって何かを考えるきっかけになればいいと思うし、

 

ならなかったとしても、私は新しい世界を体得出来たと感じている。

 

とにかく、父は、家族が自分より下の立場でないと自己肯定、自尊心を保てないのだろうと考えている。

 

 

さて、ここからは意味のない憶測かもしれないが、

 

教育マニアで考えてしまう。

 

おそらく、祖父による「優劣をつけて伸ばす教育」があったと思う。

 

それは、祖父が元教師、校長もしており、優劣で伸ばす本を出していたという話を母から聞いたことである。

 

私の直感だが、父には優劣をつける教育があったのではないかと母に聞くと、教えてくれた話だ。

 

「お前は周りより優れている」「周りに負けるな」「周りより頑張れ」

 

と言われていたと推測する。

 

 

なぜなら、父は母のゴミ屋敷問題でも、

 

「普通は・・・」「常識は・・・」「あたりまえだ」「おかしいでしょ」

 

という言葉を連発する。

 

これは、相手の考えを知ろうともせずに、自分の意見を押し通す為に使うと思う。

 

この言葉は、問題を解決するとき使わないほうがいい。

 

使うとしたら、

 

片付け出来なくて当たり前、

人生うまくいかないのが常識、

普通はどこの家庭も問題だらけ

 

である。

 

周りと比べて、自分がいかに不幸、または否定してしまっているのだろう。

 

こんなにも自己中心が原因で人間関係がうまく行かないのに、

自分は絶対に病院へは行かない、病気ではない

と自信をもっているなら、自己愛性パーソナリティかもしれない。

 

私の父も言っている。母の病気のことを聞きに行くことはするが、自分は絶対に診察はいらない。お母さんが病気なんだと。

 

いやいや、母が病気だからこうなったと結論付けて、自分は関係ないんかい。

 

私からすれば、母の精神も父の精神も視野の狭さは一緒に観える。

 

それに相変わらず、精神科やカウンセリングのことを勘違いしている。

 

本当に、父の方が大変だ。

 

 

 

父の話が長くなったが、

 

母は病院に行って、通信販売で届いたブーツが粗悪品で失敗したことを先生に話したらしい。

 

怪しいサイトだったので、電話をしまくって、メールもしまくって、写真もとって、消費者センターにも相談して、届いたブーツの送料まで名古屋の郵便局に電話して調べて、

 

まさに執念で返金してもらったらしい。

 

お金への執着はすごいね。

 

先生には、こういうのが続いたらネット通販は辞めるように言われたらしい。

 

母は、もうやる気も無いみたいだからこの件は良いが、

 

片付けシール台紙は、持っていくのを忘れたらしく、

 

片付けの件は一切触れていないらしい。

 

 

母も、やはり片付けに関してはあまり話したくないのかなと思う。

 

ぼちぼちやっている。としか言わない。

 

やはり、片付けをすることへのポジティブな目標が無いのかもしれない。

 

それから、ブログ初期に書いたが、

 

私が母に言ってしまった「考えてるのに時間掛けて捨ててると片付かないよ」

 

が母の中でまだ残っているようだった。

 

母「捨てるときに考えたら駄目だって理解っているけど、考えちゃうから・・」

 

 

私(おおう?!私が前にアドバイスしたこと。間違ってたな〜)

「いっぱい考えてもいいから、時間かかって、1日に1つしか捨てられなくてもいいから」

 

母は〰しなきゃ行けない。とおもっている。

 

これは、いかんアドバイスをしていた。

 

気づかなかったな〜。何が相手を縛る言葉になるか気をつけないと行けないと感じた。