ゴミ屋敷解決に向けてへの過程【ゴミが捨てられない障害】

一軒家の実家をゴミ屋敷にしてしまう母親。母の気持ちに寄り添った解決を目指しています。

自分に自信が無い、話すことが苦手を克服するために初カウンセリングへ【勇気を出してカウンセリング】

 

今日も、母の話ではなく、自分の話ですが。

 

先日のブログで書いたとおり、自己否定へ陥った結果、

友達にも主人にも誰に相談をしても駄目であるということに気が付きました。

 

その時ちょうど、傾聴術の本を読んでいたんです。(そんな時に?って感じですが笑)

 

悩んでいる人の話を聞くって、かなりの技術が要るんですね。

答え方も気をつけないといけません。

 

ということで、これはプロにお願いするほうが良いと思い、

心理カウンセリングを予約して、偶然次の日に空いていたので早速行ってきました。

 

ネットで見つけた近所の50代の男のカウンセラーさんのところへ。

 

メディア等の監修もしている事や、催眠療法自律訓練法もやっていたので、

すぐにココにする!と決めました。

 

結果終わってみて、思うことは、

 

今まで心理学の本読んだり、瞑想に挑戦して、

頑張って自己肯定出来る人間になろう!と思っていたけど、

カウンセリングもかなり重要だと思った。

 

結果、これから私の自己肯定感を上げる為にやることは、

認知行動療法』。

 

自分に認知の偏りがあるのは理解っていたけど、

どれも当てはまる気がするし、膨大な記録をしなければならないかと思うと、

やる気も無いし、必要性も良くわからなかったから避けていました。

 

認知行動療法は本を読むだけでは難しいと思う。

 

なぜならプロの客観的な視点が重要だと思います。

 

 

私が解決したいのは、

  • 自己否定をやめたいこと
  • 会話がうまく出来ないこと
  • 他人のことばかり気にしてしまうこと

でしたが、

色々と先生と話をしていくうちに、気がついたことがある。

 

自分には、『出来るか』『出来ないか』しかなく、

途中の、20点出来た。60点出来たという感覚が無いことに気がついた。

 

最終的には先生の判断で

  • 全か負か思考
  • 決めつけ思考
  • 〜すべき思考(も少しあるらしい)

まずは、『全か負か思考』を直して行きましょう。

 

具体的に私の経験だが、

『子供の保育園の帰りに、向こうの親に挨拶したしたつもりだったが、

向こうは子供にはバイバイを言って私には挨拶してくれなかった。』

 

という内容では、明らかに向こうは何も気にしていないというのは

頭では理解っているけれど、もしかしたらという自分の不安は抑えられないという自己否定感がどこかにあった。

 

これを、認知行動療法では、

 

  • まず、気になる瞬間はしょうがない。が、

『また捉え方が、全か負か思考になってる』ということに気がつく。

↑気がつくことは私は出来る。

  • そして、頭の中で『全か負か思考』という『ラベル』をその出来事に貼るイメージをする。
  • そして、その時の気分や今回の対応の出来点数をつける習慣をつける。
  • 少し出来たことにガッツポーズをする。
  • これをゲーム感覚でやる。

 

これは先生に教えられた時にはピンと来なかったが、

カウンセリングのその日から、人と接した時にびっくりするくらい楽になれる自分がいた。

 

その時に気がついたのが、今まで

 

『相手が挨拶を無視したか、気がついてなかったか』

『うまく会話が出来たか、出来なかったか』

『悪口いわれたか、言われなかったか』

 

で生きてきたかもしれない。

そうすると、人の評価が気になるのだ。

 

楽に生きるには、

 

『相手が挨拶を無視したか、気がついて無かったか・・・

または70%は気がついてない可能性だけど30%は気がついてた可能性あるんじゃない?』

 

『うまく会話が出来たか、出来なかったか・・・

または、50%はうまく出来た気がするし、50%は失敗したきがするし・・』

 

『悪口言われたはず、だけど聞き間違えかもしれないし・・・

または80%は言われたはずだけど、20%は気のせいかもしれない』

 

自分で自分を評価してゲーム感覚でやる。

バカバカしいようで、これを心に留めて置くだけで、

自分を優先出来るようになる気がした。

 

これが、評価点数が上がるにつれて更に自己肯定感を育むようになるらしい。

 

でも、なんか言葉では表せないけど、

今までとは心の軽さが確かに違う。

なんだか、人を気にしなくても良いと思えると、出来るような気がする。

そうすると、他人の感情も受け入れられるような気がする。

 

ちなみに、他人を全く気にしない楽観的、無神経系なうちの主人は、

普段、無意識の点数付けはしていないらしいです。

ということは、単純に自己肯定出来る、好きか嫌いで判断出来る。

決定力のある人は、信念のもとに表裏で考えているかもしれませんね。

自分もそうなりたいと思っていたのも違っていたのかもと思る今日。

生まれながらに持っている気質は大きいと思いますよ。゚(゚´Д`゚)゚。

 

 

認知行動療法以外にも、自律訓練法や沢山の人生の知恵を教えてもらえました。

 

学習は質よりも回数。

思考するときは後悔はしてはいけない、反省をしなさい。

 

などなど、、、

 

カウンセリングは人生勉強会でした。

また、来月も行ってきます。

女将ってなんなのよ。【女将としての自信なくなる】

いつも、母の溜め込み症についてと、教育についての記事を主に書いていますが・・・

 

今日は、仕事の話。

 

主人は料理人なので、私は店でいわゆる女将業。

主人が店を始めて、5年は経過しました。

 

とにかく今、女将としての自信が無い。

 

5年前、女将を始めて最初は頑張りすぎて、泣いて悩むことも沢山あった。

 

その時は、以前テレビで出ていた料理屋の女将さんの言葉で、

「女将として悩んで毎日泣いていた」という話を聞いたことがあったので、

その言葉を頼りに頑張っていた。

 

世間の人が想像するような、おもてなしのできる女将なんか私にはなれないし、

 

会話も全然うまく出来ない。

 

判断も遅いし、うまく仕事が出来ないことが多い。

 

 

お客さんは、ほとんどが社長の肩書がある方や接待。

 

 

もともと主人のお店であり、主人のお客さんなので(主人と20年前からのお付き合いのお客様やそのご紹介)

 

私は出しゃばらない、接客はアルバイトの女の子に任せる。とハッキリ答えは出したものの。

 

アルバイトを管理するのも心が疲れる。

 

人を管理するって疲れる事は理解っているつもりだったけど。

 

私のアルバイトの教育の仕方を分析して、周りを巻き込んで悪口陰口を言われるのは、

正直、しんどいよ。

 

どうしようかネットで調べると、

 

管理職の悪口陰口は、苦しいけどそんなものだと受け入れるとか書いてあるけど、

 

自己肯定感の低い私にとっては、

 

仕事に対する肯定感も低くなってる。

 

主人に相談しても、主人とバイトの関係は良好だから、

私の話は聞いてくれるけど、私の内面までは理解ってくれていない。

 

昨日、お風呂でいっぱい泣きました。

 

女将って、誰も褒めてくれないな。

 

私は何が出来ていて、何が出来ていないのかな。

 

主人は、いつもよくやってくれているとか頑張っているとか言うけど、

 

私、仕事が出来ている感じがしないんですけど・・・

 

 

女将関係で調べると、女将に向いている人とかいう記事があったけど、

 

そんな完璧な人いるの・・・っていうくらい超リーダー感。

 

 

でも、そんな中、ブログを書いている女将のエピソードを読んで、

少しだけ、気が楽になりました。

 

私も家庭環境で自己肯定感が低く育てられました。

だからこそ、子供の教育は沢山勉強しています。

 

教育は大切だと思うし、アルバイトの教育にも気を遣ってきたつもりだけど、

 

自分には理解できないような性格の、思いがけない子もいるものですね。

 

その子を切り離しても、

 

自分のしている教育への自信も無くなってしまうと同時に、

 

もともとそんなに自信のない女将業に対しても、改めて苦手意識が増幅しています。

 

 

女将って、孤独なのかしら。

 

それを受け入れないと難しいのかしら。

 

いや、みんな仕事しているとそういうものなのでしょうか。

 

友達に相談しても、女将としての共感が満たされません。

 

主人に話しても、理解ってもらえていない気がします。

 

 

私は心が強くないので、

 

いつもご飯を食べに行った先の女将さんを見ると、

 

自分の仕事に自信が無くなります。

 

 

私は店では、いつも自信があるように見せかけて仕事しています。

 

みんなそんなものなのでしょうか?

 

主人は、仕事に対して自信の塊ですが・・・

 

今は、私は自信のかけらもありません。

 

 

誰かに理解って欲しい。

うまくできない女将業・・・

 

 

ゴミ屋敷解決に向けてへの過程12【父が母の病状の話を聞きに病院へ行く】【溜め込み症】

こんにちは。

やっとかもしれませんが、母の溜め込み症の病状を聞きに、

 

先日、父と病院へ行ってきました。

 

私から母の話をしても、全く受け入れてくれない父だったので、

私から見れば、

父自身に気付いていない母への執着があるように観えていた。

 

 

今思えば、家族で話をして解決すること自体・・・

最初から難しかったのかもしれない。

 

 

父と病院へ行って正解でした。

 

病院には、母の病状の話を聞きに行きましたが、

父は初診として扱ってもらえます。

 

診察ではないという前提なので、問診は全くなしです。

 

診察室に入って、おおまかにはこんなやりとりでした。

 

 

 

先生「まず、今日ここに来たのは、どなたかに言われて来ましたか」

 

私「私(長女)が提案しましたが、最後は父が決めてここに来ました」

 

先生「ご主人から観て、最近の奥様はどのようみ観えるでしょうか」

 

ここで、父が先生に伝えたのは

 

  • 最近は母とはあまり会うことが少なくなっている事
  • 病院には行っているが、まだ家は何も片付いていない事
  • 7年前に単身赴任から家に帰ってから、寝るところも無くて別居始めたが、金銭的にも勿体ないと思っていること。

不満を言った後、でもどうしたらいいのか解決が出来ないと父は言った。

 

 

次に先生は、「次は、娘さんはどのように考えているでしょうか」

 

と突然聞かれたので、父の話にうんうんとうなずく事に集中してた私は、

 

「え?私?私の視点ですか?ええええーと・・」

 

 

私の視点で物を伝えようとしたので、とにかく、母と父の事を話した。

 

私には、

母は頑張っているのに、父には伝わらない。

父も頑張っているのに、母には伝わらない。

お互いに頑張っているのに、うまく伝わっていない事。

そして、それは何故かというと、

私には、お互い欲しい物が違うように観える。

考えていることが違うように観える。

考えていることなんて、みんな違うに決まっているのだけど・・・

 

と伝えた。

 

 

この後確か、父はもう一度、先生に母への不満を伝えていたと思う。

 

そして、先生が診断名を教えてくれた。

 

 

 

今出せる診断としては、「溜め込み症」という診断ですが、

ひとつは、前頭側頭性認知症の初期症状という可能性もあります。

 

 

ここでだが、私も父も認知症という気は全くしない。

 

だが、一応先生が伝えてくれたのは、

一般的な認知症とは違う症状で、

やる気が無くなる、社会性の欠如などが主な症状なので、

可能性が無いとは言えない。

 

ただ、私も父も何となく認知症ではないんじゃないかと思うのは、

母は、片付け以外は、やる気がある事だ。

 

なぜならペン字の先生もやっているし、この間は習字の資格もとったらしい。

 

 

 

さて、溜め込み症」に関しては、かなり治りにくいという事だ。

結論、片付けを母が自分でするのは、難しいだろうということだろう。

 

先生「誰かのサポートが必要なので、「訪問看護」をオススメしていますが、

今は、ご本人が拒否しています。

しかも、ご家族が片付けに手を出すことも嫌がっていますし、

自分でやりたいと言っています。」

 

先生「溜め込み症は、”寂しさ、孤独”が原因と言われています。

モノが安心の対象となります。

それらの大切なモノを捨てられてしまうことは本人にはとってもツライことなのです。」

 

父「昔のモノですよ? 20年前のもう使えないようなモノですよ?」

 

先生「はい、そうです。」

 

父「そうか〜、それはもう病気だな・・・」

 

ちなみに、

いつもこの「母は病気」という父の答えに違和感を感じる。

が、ここで私は父に反発してはいけなかったんだな。放っとけば良かったんだな〜。

ここで先生は何も言わなかったのもそれもそうか。

 

 

こうやって、先生が居ることで、父も私も客観的に話が出来る。

 

 

先生から父への提案として、

 

「奥様は、いつも私が企画しなきゃいけないから、

食事や旅行をご主人から企画して欲しいとおっしゃっていました。

なので、何かお店を予約して頂くことはできますでしょうか?

それから、片付けに関しては、ご主人からは一切話さないように協力お願いできないでしょうか。」

 

父「あ~、確かにいつも家内がそんな事言っていますね・・

(思い当たる節がある感じ)

でもな〜、(多分父はそういう事が嫌いでしたくないんだけど・・・)

そうですね。何かしてみます。」

↑↑

娘の私が言っても全然ダメなのよ(;´∀`)

先生から提案されるとこんなにもうまくいくの?!

病院行って良かった!!!!!!!

 

 

父に、病院に行ってみてどうだったか聞いてみると、

 

「医者に言われるとそうするしかないな。

決定的な方法は無いけど、今はこうして行くしかないってことでしょ?

で、その後また考えたら良いってことでしょ。」

 

おお〜、やっと負のスパイラルから抜け出して、同じ方向を向いてくれた気がする。

とりあえず、安心。

 

 

とにかく、人は信頼できる相手じゃないと話を受け入れられなくて、

父にとって、それは娘じゃダメで、医者じゃないとダメだったのかもしれない。

 

 

とりあえず、ここからは、父と母の信頼関係の構築がメインになっていくと思う

 

 

やっと、ゴミ屋敷解決へのスタートラインかな?

ゴミ屋敷解決に向けての過程11『ごみが捨てられない障害・溜め込み症』

昨日、母と病院に行ってきた。

 

暖かくなってきたのもあるかもしれないが、

 

母は薄いコートで、スカーフも巻いてなんだか小綺麗な格好で来た。

 

診察室に入った。

 

先生は「暖かくなってきましたねえ」

 

母「そうですね、暖かくなって来て良かったです・・」

 

母がまず先生に話したことは、

 

母「色々あったことは大体解決しましたし、暖かくなってきましたので、片付けもちょっとずつやろうと思います。」

 

これが、母の第一声だ。

 

先生「それは良かったですねえ。」

 

母「前回のブーツの件(通販で失敗したエピソード)も、習っていた筆ペンの講習も無事合格して、すっきりしました」

 

私は、少し安心した。

 

母はかなり片付けに消極的になっていると感じていたので(片付けの話をしてもボチボチやっているしか言わなかった)、母の中でだいぶ心の余裕が出来たのだろう。

 

そして、先生は次の手に出たのだろう(私の予想)

 

先生「では、家族とは最近どうですか?」

 

母「主人と話をしても、合わないというか、

色々こちらとしては、私の為にして欲しいと思っているのに、

相変わらず何もしてくれない。

スケジュールも結局主人に合わせなきゃいけないし、

常に上から目線でものを言われて、でも、こちらが言っても無駄なんで合わせてます。」

 

先生「そうですねえ、こちらに合わせて欲しいことも有りますよねえ」

 

母「言っても駄目なんですよ。主人は変わらない。ね、そういう感じだよね」(母は私に同意を求める。)

 

私「うーん、お母さんがそう思っているなら、私がそれをお父さんに伝えることは出来るけど、そうだね、伝えてもちょっと難しいところもあるね。」

 

このあと、私が先生に質問をした。

 

私「母は、ものを捨てようとするときに沢山考えてしまう。

これは私のミスだが、以前に母に伝えたことで、ものを捨てるときに沢山考えては行けないと伝えたことがある。

そのせいで母はものを捨てるとき、考えては行けないと理解ってるけど・・・なかなか出来ない。という風になってしまった。

これについて母にアドバイスをして頂けませんか」とお願いした。

 

先生「そうですね。ものを捨てるときには、考え過ぎず、ある程度思い切って捨てなければなりません。

段々と慣れて捨てられるようになってきます。

最初は、考えてしまってもいいと思いますが、段々慣れてくるので捨てましょう。」

 

↑↑

なるほど、母が捨てる時に考えてしまってもいいけど(いわゆる儀式はしかたない)、捨てなさい、というスタンスは崩さないほうがいいのか・・・。

段々と捨てられるようになってくる。ということを信じて、周りが待つ姿勢のは大切かもしれない。

 

もちろん、先生の言葉は、三者であるという中立的な前提と大きな信頼関係がないと全く逆効果になる言葉ですが。。

 

さて、私の予想では、先生が家族に関して踏み込んだのは、

 

有る意味次のステップに入った。

 

ここからは、母の中に溜まっている家族に関する荷物をおろして行く診察が始まると思う。

特に、父に対しての考えはどうなっていくのだろう。

 

ちなみにこの後、父が母の状況を知りに診察に来ることになったので、予約をした。

 

まだまだ、診察は続きそうだ。

 

 

 

それから、いつもの喫茶で母と話をしたが、

 

やはり、父への不満を言ってはいたが、

自分の意見はしっかり客観的に考えているような口調であった。

ただ、うまく行かないのがジレンマのようだ。

 

半年前なら、父のせいで〜だ。というような

すべてが他人に偏った感情的であったが、

最近は自分の立場も考えに入っているようだ。

 

『片付けに関して、ネガティブに感じている、したくない気持ちがあるのは、

片付けが終わった後には幸せが待っていると感じていないのではないか。』

という、私の疑問を母に投げてみた。

 

母は少し考えて。

 

母「確かに、そうだな〜」と答えた。

 

母は、片付けが終わった後は、父、次女に、振り回される生活しか想像出来ていないらしい。

 

どうせ、家は父の物だから、次女はあーだこーだと父と一緒になって母を攻撃してくると思っているらしい。

 

私「なるほどね〜。お母さんは、片付け後にはどんな将来があると幸せになれるの?最終的はどうしたいの?」

 

母「島根に帰りたい。そこで、年金で生活しながら、畑をしながら自給自足の生活がしたい」

 

これは私にとってかなり意外な答えだった。

 

これから読み取れるのは、

①父から離れたい

②自給自足の生活がしたい

 

どれが最優先なのかわからないが、おそらく自給自足の穏やかな生活を望んでいるのかもしれない。

 

が、しかし、

 

「でもお父さんは〇〇したいから、自分はやりたくても出来ない。

お父さんは・・・・」

 

と、母が夢を語り始めると、必ず父が出てきてネガティブな話になる。

 

そこで、こう私は伝えた、

 

「幸せの目標がぶれては行けない!

お母さんの幸せな話にお父さんがすぐ出てきて、ぶれてしまっている。

自分が幸せになるとはどういう状況なの?」

 

それは、これから母はこの質問を考えていくと思うので、

母自信が幸せの答えを見つけるだろう。

 

これは私にとっての発見だった。

 

溜め込み症になる人は、片付いた後の幸せな未来が想像出来ていないのは、大きな原因かもしれない。

もっとも、それを想像させてくれる、信頼出来る話し相手がまず必要だが。

 

独学で自律訓練法をやってみて、できた!これは、瞑想マインドフルネスと同じなのか・・?

こんにちは。

 

今日は、ゴミ屋敷に関する記事ではなく、

 

その解決過程で、心理学にはまって、さらに瞑想に興味を持ち、

 

自律訓練法にたどり着いたことへの記事です。

 

 

催眠術には昔から興味があり、最近は本も出ているようです。

 

催眠術も興味深いですね。

 

少し前に催眠術を習得する本を読んで、

 

その中に、自己催眠、自己暗示について書かれていました。

 

そこにあった、「自律訓練法

 

自分を変えたいという気持ちがあったので、

 

臨床家向けの自律訓練法の本を買って始めてみることにしました。

 

 

臨床家のための自律訓練法実践マニュアル──効果をあげるための正しい使い方

 

 

本は、臨床家向けなので、ある程度の心理学の知識が必要かもしれませんが、

 

私には、理解出来るものであること、

 

 

それから、実際の自律訓練法を臨床の場でのデータもあるので、

 

詳しくてとても参考になること、

 

へーこんなことが起こるんだ!驚という面白いことが書いてあるので、

 

自律訓練法を試してみたい方には必須の本かもしれません。

 

値段はちょっと高いけどおおいに価値あり。

 

 

 

その中には、瞑想と同じ効果だと書いてありましたので、

 

憧れの、瞑想、マインドフルネスが習得出来るかもという期待も込めて・・・

 

やってみて、本当に良かったです。

 

 

 

1回目の自律訓練法の練習ではこれといった体験はなかったですが、

 

2回目の練習は、夜寝る前に。

 

右腕が重〜い、両腕が重〜い・・・うーん何回言ったかな〜とか思いながら

 

暗示を心の中で唱えながら、

 

気がついたら、

 

「ん?なんかいつもと感じが違う?これはもしかして、無意識の世界に入った?」

 

このとき、初めて無意識の世界へ入れたと思います。

 

変性意識になったということでしょう。

 

何か、ゾーンに入った感じがします。

 

そして、どんな感じなのか考える意識もしっかりあるので、

 

夢の中でもありません。

 

このときの感覚としては、手足の感覚が無く、

 

私にとっての説明としては、「なんか、手10本くらいある?」というイメージ。

 

本によると、体の輪郭が無くなる体験があるらしいので、

 

それに近いと思います。

 

とにかく、体験したことの無い感覚です。

 

びっくりして、次の日に主人に瞑想ができた!すごい!と自慢しました。

 

 

3回目の練習では、

 

本に書いているところによると、1回の練習で3回公式を訓練するのが通常なので、

 

3回挑戦しました。

 

1回目は前日と変わらないレベルの変性意識でした。

 

2回目は、幼い時から頭の中で観える「たん光」を

 

変性意識の中で見てみようと思い、集中したとたん、

 

かなり深い意識レベルまで、急に進んで行くのが理解りました。

 

これが、ちょっと恐怖で、

 

意識って深いんんだ・・・

 

イメージとしては何も見えない真っ暗な海の底に向かう感じ。

 

この先に何があるのかが怖くなりながら、好奇心もありながら、

 

このときは3回目に挑戦しようと思い、一旦消去動作をしました。

 

 

3回目の訓練では、変性意識になったとたん直ぐに、

 

意識を揺さぶられるような、地震のような、めまいのような酷い感覚に襲われました。

 

しばらくすると治まりましたが、何だったのかはわかりません。

 

ただその後は、宙に浮いている感じ、

 

あ~、ここは不思議な世界だな〜

 

という感じで、リラックスができます。

 

とにかく、無意識の世界とはこういう世界なんだというのがわかります。

 

ただ、説明は出来ない感覚です。

 

広くて、自由だというイメージ。

 

何者にも侵されない、これが私の意識なんだっていう感じ。

 

言葉にするときは、みんなそれぞれの体験の中から近いものを選ぶしか

他にないので、

 

瞑想やマインドフルネスは、実際に体験しないとそれは説明できないというのがよく理解ります。

 

 

逆に言うと、確実に今、ゾーンに入った!というのが理解ると思います。

 

なんとなく、そうかな?ではなく、今、確実に変性意識に変わった!

 

というのがあります。

 

この後は、そのまま特に変わったことは無く、ただ気持ち良いな〜という感覚で、

 

しばらくしたら消去動作をして終えました。

 

 

 

これから私は自律訓練法が、比較的容易に出来るように訓練をして、

 

また何か面白いことがあったら、ブログに書いて、

 

是非、気になる方にはこの不思議な感覚を味わえる自律訓練法をおすすめしたいです。

 

また、自分自身が何か変われるかどうかも含めて検証していきたいので、

 

自律訓練法のカテゴリーを作ってみました。

 

期待したいと思います。

ゴミ屋敷解決に向けての過程10【精神科へ母だけで行く】【ゴミが捨てられない障害】

2月初めに病院へ行く予約が入っていたが、

 

我が家がコロナ陽性となり、母だけで行ってもらうことになった。

 

母がこのときの病院へ行く前に、私は父にも電話で久しぶりに母についての話をしたが、ごれがまた大変なことになった。

 

いつもいつも、父とこの件についての話をすると疲れる。

 

ただ今回、この話が何故うまく父に伝わらないのかが解った気がする。

 

私が、母についての話をすると、いつも堂々めぐりで、下のような話をする。

 

「自分は単身赴任から帰った7年前から、あの家にいてもう大変なんだ。別の所に家も借りて、その分のお金も勿体ない。お母さんが良くなるのは直ぐではないと思うが、もう自分も年をとっているから、片付けできるのがいつになるんだろう、となるわけだ」

 

上のように思うのは普通のことで、誰しもがそう思うであろう。

 

最初は、父にも片付かない家へのストレスが溜まっているので、

 

母を理解することへ抵抗があるのかなと思っていたが、

 

最近は違うような気がしてきた。

 

 

それが明確に解ったのは、母の件ではないが、

 

私の弟の就職についての話をしたときに、

 

「スキルに関しては、お父さんの方が知っている」と言ってきたこと。

 

その時、私は完全にブチギレてしまったのだが、

 

それが、何故か、父の嫌な感じが何なのかと自分で考えたときに、

 

父の「マウンティング」に耐えられなかったという事に気がついた。

 

 

 

だから、今まで話がうまく行かなかったのは、

父が「マウンティング」をして、私も「マウンティング」しようとしていたからじゃないかと思う。

 

 

それをさらに考えていくと、私が子供のときから、

 

父には「おまえは大したことないな」「お父さんは努力したんだ」

 

などと言われて、褒められた記憶がない。認められた記憶もない。

 

 

・・・ここだけ聞くと父を悪く言っているが、そんなに悪い人ではない。

 

父のイメージだが、

人格は悪くないし、むしろ人道的だが、理論的に物事を考えて自分で正しいかどうか判断するから、人の感情までは考えていないだろうという

 

ざっくりとした私の中の父のイメージ。

 

 

そして「マウンティングをする人」を調べてみると、

 

母が言っていた、父に対する不満が見事に書かれていた。

 

母も私も、父の「マウンティング」に嫌気がさしていたのかもしれない。

 

 

 

マウンティングする人に共通するのが、

 

「自分と相手を比べて優劣をつける」ことを無意識でやっていることらしい。

 

例えば、母に聞いた話でいうと、

 

会社で父が就職面接を受け持ったとき、東大生を落としたというのを祖父に話すと、

祖父は「おまえも偉くなったもんだな〰」という会話を聞いてうんざりしたらしい。

(もちろん、実際あった話を冗談気味に言っただけだと思うが・・)

 

これは外部から聞くと、冗談に聞こえない・・・頑張っている就活生が可愛そうだ。

 

これは、深層心理として、九州大学卒であった父が、東大生を不採用にしたことへの優越感からくる冗談だろう。

 

そして、それを冗談として聞ける祖父にも、その要素がかなり強かっただろうと

多面からの情報により私は分析している。

 

 

 

ちなみに父は、学歴も経歴も名誉も手に入れている。

 

仕事はうまく行っているのは、どこかで優劣をつけながらも、

上には上がいることもちゃんと理解っているからだと思う。

 

実際、私の夫に聞いても、父と話をしていてマウンティングをするイメージは無いという。

 

確かに!!

 

人前で話すときはそんなにマウンティング要素感じない。

 

 

ただ、家族(妻や子供)に対しては、「知識の領域」で明らかにマウンティングしてくる。

 

父は自分の方が知っている、あるいは正しいと感じたら容赦なく相手を否定するし、受け入れようとしない。

 

これが、私を疲れさせるし、母を言っても無駄だと諦めさせる原因だと思った。

 

 

 

はじめた頃のブログでも確か、父の「自己愛性パーソナリティ」について触れたが、

私は母の事ばっかり調べていて、父のことを理解出来ていなかった。

 

それが理解って、父が実はガラスとハートの持ち主だということも理解った。

 

父は、自分を優位に置くことで自己肯定感を保っていると考えられる。

 

それが、まさにその通りだと思うのは、

 

電話で私が耐えられなくなってブチギレて、

 

「さっきから聞いてたら自分の主観ばかりじゃないか」と言うと、

 

珍しく父は急に自己否定に陥った。(こんなことは今まで無い)

 

「もう、駄目なのかな・・・お母さんと別れたほうがいいのかな」

 

という感じだ。

 

このとき私は、(なんて白黒思考・・)と思ったが、

 

父の考えを尊重するため、「そうだね、そういう考え方もあるね」とイライラながらに答えた。

 

その時は、その微妙な空気で電話を終えたが、

 

私はこうなったことを何も後悔していない。

 

それはカウンセラーさんの言葉で、私の「父と母のことで私がしてきたことは間違ってたのでしょうか」の質問に「間違ってたことなんかこの世に無い」ということに確信を持っている。

 

父には悪いことをしたと思うが、

 

これが父にとって何かを考えるきっかけになればいいと思うし、

 

ならなかったとしても、私は新しい世界を体得出来たと感じている。

 

とにかく、父は、家族が自分より下の立場でないと自己肯定、自尊心を保てないのだろうと考えている。

 

 

さて、ここからは意味のない憶測かもしれないが、

 

教育マニアで考えてしまう。

 

おそらく、祖父による「優劣をつけて伸ばす教育」があったと思う。

 

それは、祖父が元教師、校長もしており、優劣で伸ばす本を出していたという話を母から聞いたことである。

 

私の直感だが、父には優劣をつける教育があったのではないかと母に聞くと、教えてくれた話だ。

 

「お前は周りより優れている」「周りに負けるな」「周りより頑張れ」

 

と言われていたと推測する。

 

 

なぜなら、父は母のゴミ屋敷問題でも、

 

「普通は・・・」「常識は・・・」「あたりまえだ」「おかしいでしょ」

 

という言葉を連発する。

 

これは、相手の考えを知ろうともせずに、自分の意見を押し通す為に使うと思う。

 

この言葉は、問題を解決するとき使わないほうがいい。

 

使うとしたら、

 

片付け出来なくて当たり前、

人生うまくいかないのが常識、

普通はどこの家庭も問題だらけ

 

である。

 

周りと比べて、自分がいかに不幸、または否定してしまっているのだろう。

 

こんなにも自己中心が原因で人間関係がうまく行かないのに、

自分は絶対に病院へは行かない、病気ではない

と自信をもっているなら、自己愛性パーソナリティかもしれない。

 

私の父も言っている。母の病気のことを聞きに行くことはするが、自分は絶対に診察はいらない。お母さんが病気なんだと。

 

いやいや、母が病気だからこうなったと結論付けて、自分は関係ないんかい。

 

私からすれば、母の精神も父の精神も視野の狭さは一緒に観える。

 

それに相変わらず、精神科やカウンセリングのことを勘違いしている。

 

本当に、父の方が大変だ。

 

 

 

父の話が長くなったが、

 

母は病院に行って、通信販売で届いたブーツが粗悪品で失敗したことを先生に話したらしい。

 

怪しいサイトだったので、電話をしまくって、メールもしまくって、写真もとって、消費者センターにも相談して、届いたブーツの送料まで名古屋の郵便局に電話して調べて、

 

まさに執念で返金してもらったらしい。

 

お金への執着はすごいね。

 

先生には、こういうのが続いたらネット通販は辞めるように言われたらしい。

 

母は、もうやる気も無いみたいだからこの件は良いが、

 

片付けシール台紙は、持っていくのを忘れたらしく、

 

片付けの件は一切触れていないらしい。

 

 

母も、やはり片付けに関してはあまり話したくないのかなと思う。

 

ぼちぼちやっている。としか言わない。

 

やはり、片付けをすることへのポジティブな目標が無いのかもしれない。

 

それから、ブログ初期に書いたが、

 

私が母に言ってしまった「考えてるのに時間掛けて捨ててると片付かないよ」

 

が母の中でまだ残っているようだった。

 

母「捨てるときに考えたら駄目だって理解っているけど、考えちゃうから・・」

 

 

私(おおう?!私が前にアドバイスしたこと。間違ってたな〜)

「いっぱい考えてもいいから、時間かかって、1日に1つしか捨てられなくてもいいから」

 

母は〰しなきゃ行けない。とおもっている。

 

これは、いかんアドバイスをしていた。

 

気づかなかったな〜。何が相手を縛る言葉になるか気をつけないと行けないと感じた。

「おはよう」の挨拶をしない3歳の息子について考えてみた【子供の教育について考えてみる】

保育園の先生が「おはよう」と毎朝、3歳の息子へ言ってくれる。

 

でも、そこに息子は挨拶を返したことがない。

 

母の私「先生がおはようって言ってるよ・・・おはようって言うのが

嫌なのか・・・なんでかな〜恥ずかしい?」

 

息子 うなずく

 

母の私「じゃあ、出来たよシール貼って頑張ろっか」

 

ここで園長先生が言いました。↓

 

園長先生「おはようって言った時、(息子は)笑ってくれたもんね。たまに、ここでは挨拶してくれますよ。(お母さんが)挨拶しろって言うから、やらないんじゃないですか?」

 

 

正直ここで、園長先生が言ったことに私はカチンと来ました。

 

「挨拶しなきゃ行けない」とならないように、こっちだって色々考えてるのに、全否定された気分。

 

 

これをきっかけに「挨拶が出来るようになる子供」ついて問題を掘り下げてみようと思った。

 

 

 

まず、息子についてだが、3歳だから挨拶出来なくても当たり前だと思う。

 

が、世の中には挨拶が出来る子もいる。

 

これから出来るようになって貰わないと困るというのが本音。

 

 

そこから、どう違うのか考えてみた。

 

 

 

主人に聞いてみたが、自分が幼稚園くらいのときは挨拶していたと思うが、

 

3歳くらいのときは覚えていないとのこと。

 

私は、挨拶しなきゃいけないと思いもあるが、小学生時代でも人見知りで挨拶は難しかった。

 

現在7歳の娘は、幼い頃とても人見知りだったが、年長のときに、237人に挨拶をしてシールを貼るご褒美シールをしてから、めちゃくちゃ挨拶することにステータスを持っている。

 

 

 

3歳息子の性格は『自分軸がブレない、自立心が高く、自由奔放な無神経質』の主人に似ていて、いつも息子の心理を主人に尋ねるようにしている。

 

それによると、多分「親がいる前では挨拶をしないのではないか」という。

 

カッコつけな息子なので、なるほどと思う。

 

多分、年中、年長になったら、周りがちゃんと挨拶するようになるから、自分から挨拶するようになるんじゃないか。(年中からは幼稚園に通わせる予定なので)

 

確かにそうかもしれない・・・。が、そこで私が感じたのは、

 

先生が「おはよう、おはよう」って言ってくれているのに、聞こえないふりをする息子に対して、親がどう反応するべきなのかを私が気にしているのではないか?

 

と思った。親が、その場の空気や子供への声掛けに戸惑っているのかもしれない。

 

これに関しては、主人と話し合った結果、

 

「先生がおはようって言っているよ」

 

と、息子に伝えて、

 

先生には(まだ挨拶は無理ですね)という愛想笑いを親がする・・・・

 

 

うーーーん、、、、愛想笑い?これは必要なのだろうか。

 

 

この、愛想をしなければならない日本で思い出したが、

 

 

この挨拶に関してはアメリカではどうなのだろう?

 

 

アメリカに行ったことはないが、

 

イメージで言うと、手を軽く挙げてHiと挨拶をするイメージがある。(あるいはハグ)

 

が、日本では、挨拶でお辞儀をするイメージがある。

 

このお辞儀文化は、人によっては合わないかもしれない。(自分軸のブレない我が息子とか)

 

お辞儀は、「あなたより下ですよ」っていう潜在意識があると思う。

 

日本の古い時代の身分制度から続く、上に媚びる素質(甘え)(他人軸)が、このお辞儀はあるのかもしれない。【本の『甘えの構造』より思うこと】

 

息子は3歳だが、お辞儀を頑なに拒む、お辞儀させるとめちゃくちゃ怒る。これは先天的な性格だと思う。

 

だとしたら、息子には、「おはよう」の挨拶の時にお辞儀をするのではなく、手を挙げさせようと思った。

 

社長みたいな感じである。

 

でも、そんな息子の挨拶する姿が想像で出来る。

 

そんな、息子なのだ。

 

そして、手を挙げることで、たとえ声が聞こえなくても、意思表示(挨拶)になるのである。

 

 

そいえば、手を上げての意思表示は、主人がよくしているが、

 

実は、私には出来ない。

 

何故かというと、手を挙げての意思表示には、自立や責任の潜在意識が隠れていないだろうか。

 

どうしても、お辞儀をしてしまう自分(私)がいるのは、世の中への甘えがあると自覚している。

 

そういう意味でも、息子の挨拶から見える、

ブレない自分軸を伸ばしてあげるのは大切かもしれない。

 

 

 

 

話は戻して、よく考えてみれば、

 

息子はバイバイは、するのである。

 

だから、「おはよう」言えなくても、実は他の挨拶はちゃんとしている。

 

そういえば、家ではちゃんと「おはよう」と言っている。

 

と、いうことは・・・

 

保育園で先生に「おはよう」が言えないのは、他にも理由が有りそうだ。

 

 

息子はいつも、いざ保育園に入ると、「だっこ」と言って、私から離れたがらない。

 

自立した性格の持ち主だが、家族から離れるのを嫌がる。

 

それは私は子供としての甘えであり不安だと思うので、3歳にとっては当然のことだと思っている。

 

なので、抱っこを必ず受け入れて、保育園へ送り出すようにしている。

 

と、いうことは、そもそも息子は、朝は気分が乗らなくて「おはよう」を言わないのかもしれない。

 

そう思うえば、朝「おはよう」を言わないのも、しょうがないと思える。

 

 

というように、今回の挨拶事件で

 

  • 先生が「おはよう」と言っているのに、挨拶をしない子供に対して、親がどう反応すればよいかを気にしている。
  • 子供によっては、日本のお辞儀をする文化が合わないことがあるのでは?
  • その時に「おはよう」が言えなくても、他で挨拶しているかもしれないので、「言える時」と「言えない時」を分析してみる。
  • 挨拶出来るようになるのには、無理せず年長まで待ってもいいかもしれない。

 

園長先生の言い方は、カチンと来たものがあったが、

 

こうやって、挨拶が出来る子供について、考えさせてくれたのは、

 

良いきっかけになったかもしれない。