「おはよう」の挨拶をしない3歳の息子について考えてみた【子供の教育について考えてみる】
保育園の先生が「おはよう」と毎朝、3歳の息子へ言ってくれる。
でも、そこに息子は挨拶を返したことがない。
母の私「先生がおはようって言ってるよ・・・おはようって言うのが
嫌なのか・・・なんでかな〜恥ずかしい?」
息子 うなずく
母の私「じゃあ、出来たよシール貼って頑張ろっか」
ここで園長先生が言いました。↓
園長先生「おはようって言った時、(息子は)笑ってくれたもんね。たまに、ここでは挨拶してくれますよ。(お母さんが)挨拶しろって言うから、やらないんじゃないですか?」
正直ここで、園長先生が言ったことに私はカチンと来ました。
「挨拶しなきゃ行けない」とならないように、こっちだって色々考えてるのに、全否定された気分。
これをきっかけに「挨拶が出来るようになる子供」ついて問題を掘り下げてみようと思った。
まず、息子についてだが、3歳だから挨拶出来なくても当たり前だと思う。
が、世の中には挨拶が出来る子もいる。
これから出来るようになって貰わないと困るというのが本音。
そこから、どう違うのか考えてみた。
主人に聞いてみたが、自分が幼稚園くらいのときは挨拶していたと思うが、
3歳くらいのときは覚えていないとのこと。
私は、挨拶しなきゃいけないと思いもあるが、小学生時代でも人見知りで挨拶は難しかった。
現在7歳の娘は、幼い頃とても人見知りだったが、年長のときに、237人に挨拶をしてシールを貼るご褒美シールをしてから、めちゃくちゃ挨拶することにステータスを持っている。
3歳息子の性格は『自分軸がブレない、自立心が高く、自由奔放な無神経質』の主人に似ていて、いつも息子の心理を主人に尋ねるようにしている。
それによると、多分「親がいる前では挨拶をしないのではないか」という。
カッコつけな息子なので、なるほどと思う。
多分、年中、年長になったら、周りがちゃんと挨拶するようになるから、自分から挨拶するようになるんじゃないか。(年中からは幼稚園に通わせる予定なので)
確かにそうかもしれない・・・。が、そこで私が感じたのは、
先生が「おはよう、おはよう」って言ってくれているのに、聞こえないふりをする息子に対して、親がどう反応するべきなのかを私が気にしているのではないか?
と思った。親が、その場の空気や子供への声掛けに戸惑っているのかもしれない。
これに関しては、主人と話し合った結果、
「先生がおはようって言っているよ」
と、息子に伝えて、
先生には(まだ挨拶は無理ですね)という愛想笑いを親がする・・・・
うーーーん、、、、愛想笑い?これは必要なのだろうか。
この、愛想をしなければならない日本で思い出したが、
この挨拶に関してはアメリカではどうなのだろう?
アメリカに行ったことはないが、
イメージで言うと、手を軽く挙げてHiと挨拶をするイメージがある。(あるいはハグ)
が、日本では、挨拶でお辞儀をするイメージがある。
このお辞儀文化は、人によっては合わないかもしれない。(自分軸のブレない我が息子とか)
お辞儀は、「あなたより下ですよ」っていう潜在意識があると思う。
日本の古い時代の身分制度から続く、上に媚びる素質(甘え)(他人軸)が、このお辞儀はあるのかもしれない。【本の『甘えの構造』より思うこと】
息子は3歳だが、お辞儀を頑なに拒む、お辞儀させるとめちゃくちゃ怒る。これは先天的な性格だと思う。
だとしたら、息子には、「おはよう」の挨拶の時にお辞儀をするのではなく、手を挙げさせようと思った。
社長みたいな感じである。
でも、そんな息子の挨拶する姿が想像で出来る。
そんな、息子なのだ。
そして、手を挙げることで、たとえ声が聞こえなくても、意思表示(挨拶)になるのである。
そいえば、手を上げての意思表示は、主人がよくしているが、
実は、私には出来ない。
何故かというと、手を挙げての意思表示には、自立や責任の潜在意識が隠れていないだろうか。
どうしても、お辞儀をしてしまう自分(私)がいるのは、世の中への甘えがあると自覚している。
そういう意味でも、息子の挨拶から見える、
ブレない自分軸を伸ばしてあげるのは大切かもしれない。
話は戻して、よく考えてみれば、
息子はバイバイは、するのである。
だから、「おはよう」言えなくても、実は他の挨拶はちゃんとしている。
そういえば、家ではちゃんと「おはよう」と言っている。
と、いうことは・・・
保育園で先生に「おはよう」が言えないのは、他にも理由が有りそうだ。
息子はいつも、いざ保育園に入ると、「だっこ」と言って、私から離れたがらない。
自立した性格の持ち主だが、家族から離れるのを嫌がる。
それは私は子供としての甘えであり不安だと思うので、3歳にとっては当然のことだと思っている。
なので、抱っこを必ず受け入れて、保育園へ送り出すようにしている。
と、いうことは、そもそも息子は、朝は気分が乗らなくて「おはよう」を言わないのかもしれない。
そう思うえば、朝「おはよう」を言わないのも、しょうがないと思える。
というように、今回の挨拶事件で
- 先生が「おはよう」と言っているのに、挨拶をしない子供に対して、親がどう反応すればよいかを気にしている。
- 子供によっては、日本のお辞儀をする文化が合わないことがあるのでは?
- その時に「おはよう」が言えなくても、他で挨拶しているかもしれないので、「言える時」と「言えない時」を分析してみる。
- 挨拶出来るようになるのには、無理せず年長まで待ってもいいかもしれない。
園長先生の言い方は、カチンと来たものがあったが、
こうやって、挨拶が出来る子供について、考えさせてくれたのは、
良いきっかけになったかもしれない。