ゴミ屋敷にする母から考える、神谷恵美子の「いきがいについて」【ゴミ屋敷解決に向けて】
母親が住むゴミ屋敷を解決に向けて、
片付けない母を否定するのでなく、
どうして不衛生な状況にも関わらず、こんなにもゴミを溜めるのか。。。を考える日々。
初診の予約日まで時間があるので、
少しでも、自分の不安を和らげるため、
そして何か母のことが解ることが無いかと本を読み漁っていますが、
実は私自身、心理学や精神医学、哲学の本を読むのが楽しいということに気付きました。
人間の本質を探る。。。。
色んなことを分析しようとする私には、実は合っているのかもしれません。
短大時代、幼児教育の発達心理学を勉強している時は全く面白く無かったですが。。。
心理学や精神医学、哲学は、神谷恵美子が書いていたように、
何か悩みや苦しい中にある人こそ、
切実な必要に追いやられて、「精神の世界」に入って行けるのかもしれません。
短大時代には、まだ精神の世界に行けるほど自分や人間を分析する力も少なかったのかもしれない。
それより何より、発達心理学という文章を並べただけの勉強のやり方が面白くなかったのかもしれないので、もう少し教育の本質が解るように先生側も工夫したほうがいいと思うけど・・・笑
今、心理学の本を読んでみて思うのは、教育は心理学を元に出来ていると言うこと。
仕事で、アルバイトの大学生達に教育をすることもあるが、
幼児にしろ大人にしろ
脳の発達による具体的な方法は違っても、
教育に対する本質は・・・
変わらない気がする。
教育に興味のある私とっては、心理学を知ることで、深い教育の意味が知れた気がしました。
というのも、私が「自律、尊重、創造」を教育の根幹にしてきたつもりなのだが、
これは「精神を教育する」ことなのかもしれない。
そしてその精神が、問題を解決出来る能力につながり、幸せに人間として生きて行ける(生きがいを持てる)
そんなふうに神谷恵美子の「生きがいについて」を読んで思った。
ここまでは、教育の話になってしまいましたが、
本題の母についてです。
片付けられない母に関しても、神谷恵美子の「生きがいについて」を読むにあたって当てはまる記述が沢山あり、
深く考える為に、または、視点を変えて観るのにとても役立ちました。
溜め込み症かもしれない母にとって、
モノが生きがいなのでは無いかと考えていたからです。
私は、母の老後これからの生きがいが大切だとは思っていたので、母に生きがいは何なのかを質問しました。
母は、「ただ普通に生活が出来たら良い。結婚当初はお金が無くて困っていたから、生活が出来たらそれが生きがいだ」と答えたのです。
これは神谷恵美子の本の中で、女性の中には平凡に暮らせることが生きがいだと感じる人は一定数居るようだが、
母に関して思うのが、真意はお金が使える事への執着ではないかと思うのです。
モノやお金への執着する生きがい。
神谷恵美子の本の中で、
「愛にせよ、物質にせよ、すべての所有というもののなんとはかなくもろく、むなしいものであるか。それらを自分が所有していると信じていたとき、そのなかに自分の存在の重みを感じ、それを生きるよろこびとしていた。」
この文は、この後地位と名誉有る人が落ち目になった時の例として表現されている一部分のだが、もしかしたら母にも当てはまるのではないかと思った。
なぜなら、溜め込み症の人がモノに執着する理由として、
モノにトキメキを持っているらしい。
これは、別に併せて読んだ、「片付けられないのは「ためこみ症」のせいだった?!」
という本に書いてある。
(溜め込み症についての唯一の書籍で、有ること自体に感謝する本)
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ちなみに、母には溜め込み症ではないかと疑っている件を病気検索のサイトを見せて伝えたところ、母は、
「ほとんど価値のないものでも手放すのに困難を覚える」の部分が違っていると指摘し、
「価値の無いものではない。役に立つものだと思っている」
だと言ってきました。
これは、「片付けられないのは溜め込み症のせいだった」にも書いてあるが、
この手の人たちは、モノをどう使おうかを考えたりすることが幸せらしい。
ということは、モノに対しての生きがいを持っているのではないかと、
私は思っている。
注意したいのは、溜め込み症でない場合、
モノへの生きがいは無いと思われます。
それは本にも書いてありますが、単純に脳の影響による「片付けられない」という事象なのだと思います。
溜め込み症による「モノへの生きがい」とは違うのだと私は考えています。
(ここからはあくまで私的な意見です。なぜなら溜め込み症についてはあまり解っていないことが多いようなので・・・・)
ここで、どうしてモノへの生きがいになったのか考えたいと思います。
母に色々な質問をしてみましたが、
かなり父親批判をする答えが返ってきます。
父のせいにしていると言ってもいいでしょうか。
父への執着も凄いようです。
もちろん、このとき、母の答えも受け入れて聞いてあげます。
一番いいのは、カウンセラーなど、全く意見に影響しない方に聞いてもらうのが良いんでしょうが。今は話を聞けるのが私しかいませんので、、、
父は、というより、結婚した当初の昭和後期は男尊女卑がまだ根強くありましたから、
亭主関白な家庭に、母はかなり結婚生活に苦労したようです。
しかも、田舎から都会に出てきて、育児など相談する相手もなく、
育児と家事におわれ自由を感じられなかったようです。
(ただし、整理整頓は結婚当初から出来ていなかったらしい。この頃から強制片付けはあったと思われる。また、色んな人の証言から整理整頓は子供の頃から出来ていなかったのではないかと思われる。)
それに加え、お金にも苦労していたということですが、
父は数年後、社会的にも地位が高くなり、母は、結果的にお金手に入れることは出来たと思われます。
ここで「生きがいについて」より
「私達の価値観に疑問を投げかけ明確にする努力は、人生の充実感と個人の反映に繋がるが、外部への出来事への過度愛着と私たちの行動の結果は、私たちの精神的健康を損なう過度の欲求と感情につながる傾向。」
この上で、以下のように書いてある。
「感情障害と関連する症状は、人々が想定する傾向があるように、外部の出来事によって引き起こされるのではなく、主に私たちの不合理な信念によって引き起こされる。(物事ではなく、見解によって邪魔される)」
母の欲求は、自分の自由が無いという(父が起因する)外部の出来事により大きくモノへ向ったのだろうと思う。
お金と、値引きされたお得なモノに。
そして、父への不合理な信念が常につきまとっていると思われる。
もちろんこれは、病院へ行けば、カウンセリング等で明らかになるのかなと思っています。
母はかなり認知の歪みがあるのだと思います。
ただ問題なのは、
そんな、モノが生きがいの母から、今モノを捨てろと言っているのだから、
私は、母から生きがいを奪おうとしているのじゃないかと思っています。
そんな悩みも「生きがいについて」はどうしたら良いか教えてくれる本です。
なぜなら「生きがいを失った人」についても書かれているからです。
むしろ、こちらがこの本のテーマの中心人物だと思います。
「人間の意識をつくるのは苦悩である。苦しむとは自己に向かい合って「対自」に生きる人間の独特の生存様式。
苦しみは人格を向上させ、完成させる。
それが、自己の精神のよりどころとなる。 」
(簡略しています)
心理学の本を読んでいると、精神的に苦しい人達は、
自分に向き合えるか、あるいは他人(モノ)のせいにするかで
苦しみを乗り越えられるかどうかが決まるのだと思いました。
「大いなる他者に動かされ、決断させられるという他律性の意識。
直接、受動的、機械的に服従するのではなく、ある意味では自己自身への服従である。
なぜなら、かかる人の精神は自分の思想と行動の指導原理をある程度まで自己で創造するからである。しかし、また同時にそれは自己を超える何ものかへの服従であるからその意味では他律的である。」
母にとっておおいなる他者は父である。
母自身が父への悪い思想を創り上げ、母が自身を服従させようとしている。
なので、父からしたらそんなつもりではないけれど、
母からすると、すべての不都合が父のせいなのだと思う。
実際、それは父のせい?!によく出来るな・・・というところまで父が話の中身に関わってくる。
母には、ここを自分に向き合って乗り越えて行けるかを頑張ってもらいたいと思います。
ところで精神的な苦しみ(限界状況)とは以下の状況であるようです。
限界状況とは例えば、死、生きがいを失うことです。
「ヤスパース」の「限界状況」の本質は二律背反的状況(ジレンマ)
そしてこれから以下のどれを選ぶかによって変わります。
①不決断と自己全体の麻痺を選ぶと・・(精神的廃人、発狂)
②あきらめ、逃避、対決をさける・・(自殺、精神障害など)
③統一の意志、形而上体なものへの意図(精神化、建設的なのりこえ)
母も父との生活の中に限界状況があったと思われます。
実際私自身も夫婦生活の中に限界状況があって、
感じた事として四方八方塞がれて、問題解決方法が見つからない状況です。
今思えば、死などに比べれば大した事はないですが、
離婚するというものが解決に相応しくない時は、そうなってしまうのではないでしょうか。
たかが生活の中にも限界状況はあるのだと思います。
この乗り越えには、逃避せず、自分自身の内なる世界(いわゆる深層心理だろうか)への気付きが必要になってくると思われます。
それは本人だけで簡単に乗り越えられるものではないと考えます。
それが、神という宗教的なものに頼るときもあるし、周りの協力が必要だったり。
そして欲にまみれない美しい生きがいを見つける事が出来るか。。。
そのことついても、「生きがいについて」では色々な事例を挙げて理解りやすく説明されています。
さて、乗り越えた後には新しい生きがいがやはり必要なようです。
「美しいものは永遠のよろこびである(人間の生得の素質)
芸術は人類がその生存ストレスに対して示した、精神病理的な反応。」
「表現をしようとすることは創造である。
表現への努力がもののみかた、感じ方をきびしく、こまやかにするし、そのようにしてみられたもの、感じ取ったものはやがて自分のおうからひとりでに表現の道を求めてやまなくなる。」
「 人間の根本的なじみちな生存目標はあくまでも、自己の生命を誠実にいきいきと生きぬくことであろう。」
「一個の人間として生けし生けるものと心をかよわせるよろこび。
ものの本質をさぐり、考え、学び、理解するよろこび。
自然界のかぎりなくゆたかな形や色や音をこまかく味わうよろこび。
みずからの生命を注ぎだして新しい形やイメージをつくり出すよろこび。」
このような、生きがいには、よろこびや希望や光を感じるものだそうです。
生きがいはもちろん母が探っていくものです。
どんな生きがいが生まれるのか、はたまた母が内なる生きがいに気付くのか。
それは、母にとって希望のある、現実に積極的な「精神」への挑戦になって欲しいと思っています。
「生きがいについて」は、老若男女どんな方にも人生を考える上で、心に響く本ではないかと思います。
私自身の事についても、これから生きていく上での指標になる気がしています。
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