ゴミ屋敷解決に解決に向けてへの過程6【精神科通院3回目】【ゴミが捨てられない障害】
今日、母と一緒に精神科へ行ってきた。
前回の通院は、母・・というより、私の話を先生に聞いてもらって、私の不安が払拭される回だったので、
今日は、母がじっくり先生と話が出来れば良いと思っていた。
先生が、「最近はどうですか?」
と母に聞いて 、
母は、硬筆の教室の先生をやっているが、毛筆の資格をとるのを目指して頑張っていること、
近所の人に誘われて、卓球をやり始めたことを先生に語った。
そう!かなりポジティブな話に変わったのだ!
先生も、いいですねー、すごいですねー
と母を褒めるように言ってくれていた。
「で、家の方はどうですか?」と先生が尋ねると、
母は、「片付けのやる気はあるんですが、、やる気は凄くあるんですが、片付けはううーん、できないです」
先生「わかりました、、気分の抑揚はどうですか?」
母は、最近気分の抑揚はあまりなくなっているらしい。
先生が、
「多分あまり効かない可能性が高いが、(前の処方とは違った)他にも薬があるので試してみますか?」と母に聞くと
母は薬に抵抗があるようで、飲まないと言った。
ま、それでいいと私は思った。私自身も、薬を使ったからといって早く母が良くなるような気がしない。
「では薬なしで、治療していきましょう」と、先生は言ってくれた。
母は退出して、私が先生と話をすることになった。
「どうですか?」と聞かれたので、
前回の通院後の喫茶のときに、母が泣いた話をした。
それから、片付けに関してはどうも進まないという話をした。
先生は、「片付けができるようになるまでは、時間はかかると思います。」
と言っていた。
「そうですよね〜、何かきっかけが必要でしょうか?」と私が聞いたら、
先生は「きっかけはあったほうがいいですね、無理のないきっかけが・・・」
↑↑
この「無理のないきっかけ」という先生の言葉のおかげで、後々ひらめいた。
いつも通り喫茶をしながら、片付けが進まない話を母に聴くと・・・・
やっぱり、すごくやる気はあるみたいだ。
でもできない・・・
なるほど、そりゃそうだと思った。私自身、片付けしなくてもよけりゃ毎日どれだけ楽チンか。
よっぽど趣味でもないかぎり、みんな片付けの無い生活をしたいものだ。
でも、生活の中に片付けする習慣が自分にはあるな、と思った。
そして、母にもそれを作らなきゃいけないのかなと思った。
そこで思い出したのが、NHKの100分で名著のヘミングウェイシリーズで出ていた、
「ルーティン」だ。
片付けくらいなら習慣って言えばいいのだろうが、
ここはあえて母には「ルーティン」という言葉を使って、
説明してみた。
母は早朝から仕事をしているが、それもルーティンだと考えて、
何時くらいが片付けしやすい時間なのか聞くと、
午後3時くらいが、日もポカポカしてやる気が出そうだと言うので、
その時間を片付けする時間にをしようと言うと、
母が言った言葉にびっくりした。
母「じゃあ、3時〜5時くらいか」
私「ええ!!2時間も片付けしなくてもいいよ」
そう、神経質=頑張り屋の母には、片付けは2時間もしなきゃ意味がない!と思っているらしい。
それこそがそもそもの負のスパイラルへの入り口だ。
私が母に伝えたこと・・・・・・・・・・・
母には、毎日することだから2時間もしなくて良いと伝えた。
30分や15分でもいい、片付けが出来るようになるより、その時間になったら片付けをするというルーティンを作ることをまずやろう。
ということを母に提案した。
というのも、先生が言っていた、『無理のないきっかけ』というのが大切だと思ったからだ。
参考にだが、私の経験として、小学校1年生の娘に自立して勉強、宿題が出来るようになるために工夫していることがある。
勉強の時間が来たら、勉強時間をタイマー15分に設定して、その後5分休憩して、それからまた15分勉強する、休憩するを繰り返して、
小学1年に無理のないように勉強時間設定をしている。
この無理のない設定は、出来ない母には大切なことかもしれない。
宿題を初めてした小学1年の娘と同じ感覚なんだと思う。
話がずれるが、精神障害についての接し方は、教育での子供との接し方はほとんど一緒だなぁと感じている。
そういう意味では、大人といえど、幼児や小学生と同じ感覚で教えていけばいいのかもしれない。
ちなみに、現代の子供の教育理論での根幹は『自発的に物事に取り組んでいける環境作り』だと考えていい。
大人がああしろ、こうしろ、という教育は間違っているということだ。
大人がすることは、子供が自ら取り組めるように環境だけ作ればいい。
この環境というのは、物理的な環境だけではない。関係性や言葉掛けや時間のとり方など、色んな意味を持っている。
そう、大人が子供にしてあげている事、全てが環境なのだ。
だからこそ「自分からやりたい」と思わせるにはどうしたら良いかの発想力が、教育する側に求められる。
この子供の教育と同じ接し方をを精神障害をもつ人にも必要なのだと思う。
ただ、かなりの知識が必要だ。
そういう意味でも、教育者は勉強し、経験豊富であることが必要だ。
さすがに教育者としては難しいかもしれないが、病気を理解しようとするためにも、精神障害について勉強しようとする姿勢も大切だと思う。
話がずれたが、
母には毎日午後3時から30分だけ片付けをルーティンにする、30分経ったら片付けをやめることを決めた。
やってみた結果を次回の通院のときに先生に報告する。
そして、もし出来なかったことがあれば、次回通院のときに先生に相談しようと決めた。
これを決めたことで、母は気づいたことがあるらしい。
母は「宣言するって大切やな」って言っていた。
人に言う事で、行動に移せるって確かにある。
まさにそういうことなんだ。
やる気があるけど、行動に移せないときは
宣言することは大切かもしれない。