ゴミ屋敷解決に向けてへの過程【ゴミが捨てられない障害】

一軒家の実家をゴミ屋敷にしてしまう母親。母の気持ちに寄り添った解決を目指しています。

60代の母、3階建て戸建てゴミ屋敷解決に向けてへの過程を綴っています【ゴミが捨てられない障害】【溜め込み症】

解決の糸口がみつからない「ゴミ屋敷」。

勝手に片付けると怒る母。

かと言って、任せても片付けられない母。

放っておくと、もはや手がつけられない状態に。

家族との間にも溝が出来・・・・どうしようもない。

 

そんな中、結婚して別の家族となり、母になった娘の私だからこそ、

我が家の問題に気がついたのかもしれません。

 

ゴミ屋敷になる原因は、「片付けられない」が問題の本質ではありません。

家族揃って、負のスパイラルに入っていること。

それが、「ゴミ屋敷の原因」になっている。

 

※ゴミ屋敷解決に向けての過程は現在進行形です。

 

 

 

ゴミ屋敷解決に向けてへの過程9【精神科通院5回目】

◇ゴミ屋敷解決に向けてへの全過程 一覧ページはこちら◇

 

正月明けに、母と精神科へ行ってきた。

 

1か月前に、昼の3時に15分だけ片付けをして、

 

習慣化してみようという、

 

出来た日にシールを貼っていく方法で、

 

 

片付けに挑戦してみた結果は・・・

 

全然出来なかったらしい。

 

 

最近寒かったからなかなかやる気が・・と笑いながら言っていたが、、

 

でもこれは先生には想定内だったのかもしれない。

 

先生「では次は、もう既に出来ることを目標にしてシールを貼って行きましょう」

 

私「・・・なるほど!!と、いうことは既に出来る洗濯などをしたらシールを貼るということですね!」

 

先生「そうですね」

 

 

なるほど!

 

掃除が15分も、これさえも出来ないとなるとどうしようか考えてしまうが、

 

「掃除」より前に、「出来る」を実感させることは大切かもしれない。

 

 

我が子の教育でも、出来ないなら、出来ることから褒めて「出来る実感させる」。

 

これは大切にしていることだ。

 

 

おそらく、当たり前に出来ることにシールを貼るなんて、何の意味があるんだと思うが、

 

きっとシールを貼ってある台紙を先生が見て、母を褒めてくれるのだと思う。

 

私も、母をいっぱい褒めようと思う。

 

・・・・「家事」。(「育児」も)

 

生きていく上で当たり前にやっていることだけれど、これはプチストレスが溜っていくものらしい。

 

さらに家族の分までこなすとなると、ストレスは相乗レベルで溜っていくのではないか。

 

掃除というものががうまく出来ないにしろ、家事育児を頑張ってきた母には感謝したいと思う。

 

先生「是非、次回はシールを貼った台紙を持ってきてくださいね」

 

 

 

さて、今回先生に診てもらってもう一つ母に関して大事なことに気がついた。

 

母にとって「やらなきゃ」という状況(環境)が、余計にやる気を無くしてしまう、、、、

 

、、、というより、母のやる気へのハードルが高くなってしまうようだ。

 

私は、シール台紙を用意したり、アラーム付きタイマーを買って用意したりしたが、

 

母にとって、「やらなきゃ」という環境を作り出したかもしれない。

 

とりあえず、やり方が良かったのか悪かったのかは解らないが、「それが解った」のは良かったと思う。

 

母にとってはとにかく、「掃除をやらなきゃいけない」ということをずっと周りから言われ続けてきたのが原因だろう。

 

だからこそ、「掃除じゃないところ」から攻めていくのがいいのかもしれない。

 

今回、溜め込み症の母に関して解ったことは、

 

  • 「やらなければいけないこと」に対してとても億劫になる
  • そのため、始めの第一歩へのハードルがもの凄く高い

 

 

 

ちなみに、いつもの精神科の後の喫茶タイムで色んな母の性格が見えてきた。

 

ここからは、私の予想である。

 

 

話をしていると、どうやら母には感情があまり無い。ということに気がついた。

 

父とうまく折り合いがつかなくなった時の状況を説明してくれるのだが、

 

そこには感情というより、父が悪い。父のせいだ。考え方が違うからどうせうまくいくわけがない。というところが大きい気がする。

 

私から観ると、母は「自分の気持ちを父に伝えていない母」にも原因がある。

 

そして、父は「母の気持ちを聞かずにに先へ行ってしまう」も原因がある。とは思うが・・・

 

 

ここで私は、なぜ母はこんなにも気持ちを表すとが出来ないのだろうかと考えてみた。

 

多分こうだ。

 

自分の気持ちを言ってしまうと、母の気持ちに沿った形で、状況が変化するのが、

 

母は怖いのだと思う。

 

なぜならそこには、自分が気持ちを言ったからこうなったという「責任」が生まれるからだ。

 

母はこの「責任」から逃れようとして自分の気持ちを言わないと思われる。

 

そして、その根底には普段からものすごく「人のせいにしている」からじゃないだろうか。

 

それはいわゆる、「自分のせいにされるかもしれない責任」が母には有ると思われる。

 

では、何故母はこんなにも「人のせいにするのか」。

 

ここは、「責任」を負いたくないからだと思う。

 

という、負のスパイラルに陥っていると思われる。

 

 

 

例えば、先日聞いた母の話で言うと、

 

歩いているときは、父が先へ先へ速く行ってしまう(ことが嫌だった。)

 

その後、自転車に乗るときは、父は先に行こうとせず、私【母】が行くのをずっと待っている(ことが嫌だった。)

 

※( )の部分は母は言わない。私が補足した部分だが、ここを言わないので、初めは何を言っているのか私も解らない。

 

で、どう思ったの?など、

ここから掘り下げて行くことが大切である。

 

これを私なりに掘り下げていくと、こうであった。

 

一番の前提にあるのは、母が自転車の先頭を行くことが、潜在意識のところで嫌だということだと思う。

 

 

「責任」を負いたくない母は、「自分で決める」のが苦手である。

 

今、思えば、旅行の行き先や外食でご飯を何処で食べるか等を父が決めてくれないことに愚痴を言っていたが、

 

それも決めることへの億劫なのかもしれない。

 

 

自転車で先頭に行くと言うことは、大したことがないように思えるが、

 

実はここには、まあまあ「責任」が存在する。

 

子供の教育で、私は娘に幼稚園へ行く時など、目的地まで先頭を歩かせるようにしている。

そこには、「ルートを決める」「スピードを決める」など、

 

後ろからは私からの「あなたに合わせますよ」という見えない圧力が存在する。

 

これが、「責任」である。

 

これを苦にならない人がリーダーシップを取れる人であろう。

 

これには、ある程度幼少期に「自分で決めさせる」ことを教育していないと、大人になってからでは難しいと思う。

 

母は、「決める」ことから逃げたい人なので、きっと幼少期は自分で決めることをさせてもらえなかったのではないかと思う。

 

実際、貧乏だったなどで、親に対して欲してはいけないというのが幼少期あったらしい。

 

 

ということで話は戻るが、

 

 

よくよく母に話を聞いてみると、

父が速く歩いて行ってしまうところは、話が聞き取れ無いから不満に思っていたらしい。

 

なのに、自転車に乗ると父は先に行ってくれない事に対しては、何故不満なのかははっきり出てこない。

 

 

 

ちなみに私自身がこの責任を取りたくない人なので、この状況はちょっと理解出来る。

例えばこういうことである↓↓↓↓

 

 

●外食するときの例

 

◇例1

責任をとりたくない人「何処でご飯食べたい?」(自分で決めたくない、決められない)

 

答える人「ラーメン屋がいいな」

 

責任を取りたくない人の心の中(ラーメン屋かよ・・和食が良かったのに)

 

 

◇例2

責任を取りたくない人「何処でご飯食べたい?」(自分で決めたくない、決められない)

 

答える人 「どこでもいいよ」

 

責任を取りたくない人の心の中(いつも私が決めなきゃいけない行けないのか。少しはあなたに決めてほしい)

 

 

例1は相手が決めてくれた、例2は相手が決めてくれなかった

 

どちらにしても不満なのである。

 

 

 

と、いうことは、

 

実は、決められない人は、そもそも自分を大切にしている人である。ということが解る。

 

自分をすごく大切にしているのに、自分で自分をないがしろにしている事に気がついていない人。

 

逆に言うと、自分をないがしろに出来る人は、「雨ニモマケズ」の「自分を勘定に入れない人」にしか不可能だと考えている。(究極の自己肯定が出来るということ)

↑↑↑↑

そういう人にわたしもなりたい。

 

 

今まさに、母が自己肯定できるようになることが、

 

母が父ののせいにしてしまう負のスパイラルから抜けるのに必要なことなのだろう。

 

 

 

さて、自己肯定できるように、周りが褒めるようにすることも大事なのだろうが、

 

この本を久しぶりに読んで、

 

今まさにタイムリーで凄く大事なことが書かれていると思う。

↓↓↓↓

 

 

 

 

この本は、精神的につらい人なら、本人ないしは家族は持っていた方がいいかもしれない。

 

 

最初この本を読んだとき感じたことは、

 

勉強にはなるが、なかなか実践までは難しいと感じていた。けれど、

 

精神科へ通ったり、色々な努力をする過程で、

 

今はこの本の中から見えてくるものが沢山ある。

 

 

 

久しぶりに読んで気付いたことは、

 

今、母に一番大切なのは、

 

「自分で自分を褒めることを許す」かもしれない。

 

まずは、「私は〜」の主語で始まるように自分に軸を持っていけるようにならなければいけない。

 

中間に書いたとおり、母の思考は周りの人中心となっている。

 

「私(母)」が優先されるように、母の自己肯定感を高めることが今一番の家族の課題である。

 

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消しゴムを使わない書き取りが大切?漢字おけいこ帳事件【精神障害から子供の教育についても考える】

私には小学1年生の娘がいる。

 

幼稚園のころから、勉強も運動もこなすタイプなので、

 

小学生になってからも特に問題はなかったが、

 

国語での書き取り、漢字のおけいこ帳で事件ががおこった。

 

 

漢字のおけいこ帳が始まったのは2学期。

 

最初の頃は、宿題したらVery Goodが貰えていたが、

 

段々、先生がVery Goodをつける基準をレベルをアップしたのだろう、

 

娘はなかなかVery Good貰えなくなっていた。

 

 

ある日、娘が宿題をするのだが、40分かかってもまだ漢字の書き取りをやっていた。

 

なんでそんなに時間が掛かるのかを思って観ると、

 

同じ字を何度も何度も消して、書き直している。

 

娘は納得のいく字が書けなくて、また書き直す。これを繰り返しているのだ。

 

 

 

これで、思い出したのが、溜め込み症の母のことだ。

 

溜め込み症の母は、自分には出来ないことを目標にして、不可能なこと頑張りすぎて

負のサイクルに入っていく。

(本来は溜め込み症で片付けが出来ないのにできると思っている為)

 

 

 

娘もの漢字の書き取りも、母の負のサイクルと似たようなことになっているのだ。

 

 

 

なんでそんなに字を書き直すのか聞いてみると、

 

娘「Very Goodが欲しいから。赤ペンで直されたくないから。」

 

 

 

娘の目標は、「Very Goodをもらうこと。直されないこと。」になっているこれが問題だ。

 

 

 

この目標ははっきり言って、不可能だ。

 

親の私自身、何をどうすればVery Goodが貰えるのか解らない。

 

なぜなら、娘のおけいこ帳を見て、これくらい、いいじゃないかと思う字も、

先生に赤ペンで直されている。

 

 

とりあえず、ここで私が対応したことは、

 

娘に「消しゴムを使わないように」と指導した。

 

すると、号泣しながら、「消しゴムを使わせてくれ」と懇願して来る。

 

そこで、こう声を掛けてみた。ちょっと怒り口調だけど。

 

「うまく書けなくて何が悪いねん。赤ペンで直されるのがなんであかんねん。

うまく書けなくて当然や。直されて当然や。

なぜなら今は、字の練習中なんやから。

失敗するから、出来るようになるんやろ。

消しゴムを使わないで書いて、汚くてもいいから、それで提出してみなさい。死ぬわけでもないんやから。」

 

 

これを優しく言えたらベストなんだと思う。

 

でもね、母の私も相当イライラしてるんですよね。

 

 

 

そして、消しゴム禁止でおけいこ帳の宿題をし始めてから3回目くらいから、

 

娘は、「字が綺麗に書けるようになってきた!」と実感するようになった。

 

確かに、書き取りの字が全く変わった。

 

余裕のある字になり、何処を直せば綺麗に書けるのかが理解ってきたらしい。

 

(ちなみに、これでもVery Goodがなかなか貰えないので、なんともはや。先生または、おけいこ帳自体のやり方に問題、課題があるんじゃないかと思うが。例えば、子供が字に対する目標を理解っていないとか。小学1年2年ではなるべくVery Good(肯定)を与えるべきではないか。)

 

 

そして私は、こういうのが複雑に絡み合って大人は精神病になるんだな・・・と思った。。。

 

 

さて、私は娘のこの経験で消しゴムを持たせないほうが良いと判断したが、

 

どうやら消しゴムを使わせないほうが良いというのは、一般的らしい。

 

なぜなら、親から消しゴムを使うなと言われている子がいると娘から聞いた。

 

ネットで調べてみると、「間違えを消さないほうが良い」という考え方だ。

 

なるほど。と思った。

 

塾での算数問題の答えを間違えたときも、消さないように指導された。

 

間違えというのは、残っていてこそ次の成功に繋がるのだろう。

 

消しゴムは都合の良いアイテムだが、使いすぎ(依存)は禁物である。

 

 

だが、おけいこ帳に関して娘のクラスの子のこんなエピソードも聞いた。

 

親からとにかく消しゴムを使うなと言われて、おけいこ帳を書くのが嫌になっている子もいるらしい。

 

私の想像だが、

 

理由もわからず、理不尽に消しゴムを使うなと言われているのではないか。

 

 

気をつけなければいけないのは、消しゴムを使わない方が良いというのを知った親が、

 

その通りにするだけでは行けない。

 

消しゴムを使わないほうが良いの本来の目的は、

 

「失敗を消さないこと」では無く、

 

「失敗を成功に変えること」である。

 

これを見失うと、別の負のスパイラルに入ってしまう。

 

 

何事も、よく知り、目的を見失わないよう、バランスが大事だと思う。

 

 

 

ゴミ屋敷解決へに向けての過程8【ご褒美シート台紙の製作】

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溜め込み症解決への道

 

昨日の精神科へ行ったブログにも書いたが、

 

溜め込み症で片付け方が理解らなくなってしまった母に、

 

早速片付けご褒美シート台紙を作ってみた。↑↑↑

 

片付けした日の傾向が分かるように、カレンダーをそのまま貼り付けた。

 

そして、目標・目的を見失わないように書いておいた。

 

そして、ルールも書いておくのも重要かもしれない。

 

 

 

多分母は、掃除をしているうちに、できるならやってしまおうという気持ちが出てくると思う。

 

そうなると目的から逸脱してしまうので、

 

そうならないようにしなければならない。

 

あくまで、目的は習慣付けだ。

 

 

これがある程度できるようになったら、片付けしている中で課題が出てくると思う。

 

次の目標・目的はその課題である。

 

 

「7歳の自立した勉強が出来るようになる」のと「60歳オーバーの片付けが出来るようになる」のは同じ原理だ。

 

母も昔は掃除が出来たのに、出来なくなってしまった・・・これはきっと何かきっかけがあるのだが、今はまだ原因不明だ。

 

それは、間違いなく長女である私が生まれた時に何か大きく変わっていったんだとお思う。。。

 

今は、ただ、片付けが出来るようになれるように母には頑張ってもらわなければならない。

 

いや、母だけが頑張るのではなく、家族も頑張らなければならないだろう。

 

せめて、母が頑張れるようにと、自分で台紙を制作してみた。

 

孫の写真を入れてみた。

 

父にもこの台紙シートを送ろうと思う。

 

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ゴミ屋敷解決に向けての過程7【精神科通院4回目&カウンセリング2回目】

◇ゴミ屋敷解決に向けての全過程 一覧ページ◇

 

今日、精神科とカウンセリングへ母と行ってきた。

 

まず、精神科の先生と。

 

先生「最近どうですか」

 

母「物忘れがすごくて・・・」

 

母は、通帳を無くしてしまったらしく、そこにあると思った場所に無く、どこを探しても無く、

 

通帳の使用を止めてもらう手続きやらで、大騒動パニックになったことを先生に伝えた。

 

結果、通帳は何処かの店に忘れていたらしく、出てきたらしいが、

 

それが、母にとっては自分は物忘れが激しくなったと捉えたのだろう。(神経症によくある)

 

一応先生は、「物忘れは今までおっしゃっていなかったので、一度検査をしてみましょうか」

 

ということで、認知症の検査をやってみたところ、

 

母は満点で、全く認知症の気配はないとの結果だった。

 

それは、まず安心した。

 

それから、もう60歳過ぎているので色々な病気が出てきたらしい。

 

高血圧や糖尿病、あともう一つは忘れたが、いわゆる生活習慣病だと思う。

 

それに対する、薬を飲んだり、気をもんだり、対応やらが

 

現在の母の中ではいっぱいになっているようだ。

 

しかし、それ以外に関しては意外に落ち着いている様子。

 

ペン字教室の生徒集めもうまくいったようだし、

 

問題だった父との関係も文句を言いながらもまあまあうまく行っているようだ。(父もだいぶ気を遣っているだろう)

 

 

私から先生には、「前回のブログ(ゴミ屋敷解決に向けての過程6)」で書いた内容を伝えた。

 

おおまかには

 

母には毎日午後3時から30分だけ片付けをルーティンにする、30分経ったら片付けをやめることを決めた。

 

やってみた結果を次回の通院のときに先生に報告する。

 

そして、もし出来なかったことがあれば、次回通院のときに先生に相談しようと決めた。

 

という内容だ。

 

 

それに対しての母だが、上の内容で最初はやっていたが、

 

先に書いた通帳事件があってからは、片付けルーティンが出来なくなってしまったらしい。

 

 

私→先生「母は、毎日片付けをする時間をどれくらいする?と聞いたら、2時間と答えたんです。」

 

先生「2時間!それは頑張りすぎですね。5分か10分でもいいです」

 

私「でも母は、それくらいしないと片付かないと思っているようです」

 

母「調子が良いときは、どんどん片付けが進んでいくんですが・・・・」

 

先生「出来ると思っても、時間が来たら辞めた方がいいですよ。タイマーを掛けてもいいかもしれないですね」

 

母「は〜辞めたほうがいいんですね・・・」(ここは母にとって目からウロコ部分だったのだろう。私も言ったのだけど、先生から言われた方が響いたようだ。)

 

先生「あと、出来た日はシールを貼って、達成したらご褒美も用意した方がいいですね」

 

私「ほ〜、なるほど〜(合点)」

 

前にも書いたが、まさに!

「ゴミ屋敷片付けが出来るようになる過程」と「7歳の娘の勉強が自立できるようになる過程」は同じだ。

 

7歳の娘には、今現在、勉強を習慣化させるために、「勉強集中出来た日にシールを貼る」のを実践中だ。

 

大切なのは、「出来た!の可視化」だと思う。

 

そして、「する為の原動力」としてご褒美が必要なのだと思う。

 

ちなみに、後のカウンセリングでもう一つ大切なことが解った。

 

「どこから片付けするか」も大事のようだ。

 

実際母は、どこからどう片付けしたら良いかも解らないらしい。

 

 

カウンセラー「どこから掃除したいと思いますか?」

 

母「う〜ん、洗面所かな〜」

 

 

 

と、いうことで、早速これらのことから新しいプロジェクトでやってみようと思う。

 

母にはネガティブな話では無いのだから、今週中にご褒美どんなものが良いが考えといて〜とフランクに課題を出してみた。

 

そして、「目的」(目標)を見失わないように、

 

シール帳を私が作ってみようと思う。

 

目的は、まず「3時になったら洗面所の片付けをする。」

 

ただそれだけだ。

 

 

 

思い返してみると、母が発達障害かもしれないと言っていた初期は、

 

「まず、洗面所から片付けしよう」と私は提案した。

 

母は頑張ったものの、全然うまく行かなかったのだ。

 

それは、母は「やる気がなかなか起こらない」とは言っていたが、

 

それだけでなく「片付けをする、無理のない生活習慣が無い」も重要だったのだろう。

 

 

と、いうことで現在のゴミ屋敷解決に向けてのプロジェクトは以下のようだ。

 

 

  • 母には毎日午後3時から10分だけ片付けをルーティンにする、10分経ったら片付けをやめる。
  • このときタイマーを使う。(7歳の娘が使っているタイマー、「とき・サポ」を使おうと思う。)
  • 出来た日はシールを貼る。出来ない日があっても良い。
  • ご褒美を作る。
  • やってみた結果を次回の通院のときに先生に報告する。
  • そして、もし出来なかったことがあれば、次回通院のときに先生に相談する。

 

 

ちなみにカウンセラーだが、今回で一旦終わりにした。

 

先生の判断で、カウンセリングは無くても良いということで、

 

母もカウンセリング無くても良いという判断だ。

 

 

 

ということで、今回のカウンセリングは私も積極的に話を振ってみた。

 

父との関係はどんな感じなのか。カウンセラーがいる場所で聞いてみたかったからだ。

 

結果、母は父に対する「愚痴」をカウンセラーに思う存分に言った結果・・・・

 

 

 

母「まあ、何処の家でもそんな感じなのかな〜、よく、テレビとかでも、旦那の不満話はよくあるし・・」

 

 

(私の心の声)あ〜、待ってました!!!!その境地にやっと行けたか・・・

 

 

父と母の仲が解消されたのは良かった。

 

 

 

ちなみに一つ、母の考えで謎な点がある。

 

ある程度、母の「心の重荷」が降りたので、

 

病院の後の喫茶店で病理である神経質について話してみた。

 

直ぐに母が納得できるとは思ってはいないが、いつか気が付くときに備えて、

 

「目的」を失っていることを伝えた。

 

母は、もちろん納得はしていない。

 

私は、片付けをする目的は「部屋を綺麗にする」だと思うが、

 

母に聞いてみると、片付けをする目的は「より良い生活をする」だそうだ。

 

言っていることは間違ってはいない。

 

私「片付けが出来ないのに、より良い生活は目標が高すぎる。「出来ない」ことを目的にすると、出来ないのにやってもうまくいかない」

 

と伝えると、

 

母「昔は出来たのにな。」

 

私「?!昔って、いつから片付けができなくなったの?」

 

母「う〜ん、子供が生まれてからかな。昔はお金が無くて困ったから。」

 

母には当初から、この「結婚当時、お金に困っていた」というのを聞いていた。

 

私の予想では、おそらくお金が無かったから、母はモノを捨てないで置いていたが、

 

無頓着な父が捨ててしまっていたからだと思うのだが、、、、

 

捨てられない理由としてここには、もっと何かあるような気がする。

 

ちなみに私は「お金に困っていて、捨てられないのはわかるけど、今お金に困っているの?」と母に聞くと、

 

母「困っては無いんだけどなあ〜・・・」

 

という答えだった。

 

 

ここに何か、ある気がする。

 

 

 

 

便利なタイマーとき・サポの紹介もしておきます↓

 

 

 

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子供を「モノとして持つ」気付いていない親がいっぱい【精神障害から考える子供の教育】

 

先日、娘のお稽古場の先生の舞台を観に言ったときの話。

 

 

小学3年生の女の子と年長の男の子のいる母親も来ていたので、

 

一緒に舞台を観にみることにした。

 

 

席は自由席だったのだが、

 

3年生の女の子が、私達親から離れたところで観ようとする。

 

うちの小学1年娘と、その娘の弟もその娘についていく。

 

私は子供が好きなところで観れば良いと思うし、周りに迷惑かけるわけでもなかったので、何も思わなかったが、

 

それに、何故か怒るその娘の母親。

 

 

その娘の母親「こっちの方が観やすいやん!なんでそっち行くの!こっちこっち」

 

その娘「こっちで観る」

 

その娘の母親「そこは観にくいやん。こっちきーや!」

 

ーーーー

 

母親は単純に、観やすいところがココだから!というように思っていたんだと思う。

 

が、同時に自分の娘の意見を完全無視していることに全く気がついていない・・・・

 

 

あまりにこのやり取りが嫌だったというか、

 

私「そっちがいいって言ってるんだからいいじゃない。」

 

その娘母親「あ、そっか」

 

でも、このやり取りはその後も続いた。

 

 

その後何回かホール外で休憩して、

 

再度、席に着こうとするとこのやり取りが始まる。。。。

 

 

すると、だんだんその娘の母親が怒り出した。

 

その娘の母親「もう!なんでそっちに行くのよ!怒」

 

その娘「なんでお母さんそんなに怒るのよ!(無視)」

 

 

大体これで、読めた気がした。

 

その娘は自立しようとしているんだろう。

 

母親からわざと距離を置こうとしているのだ。

 

すると、母親はそれが気に入らないらしい。

 

その娘の母親は私に言った。「3年生になったら、大変やで。1年生のときは何でも言うこと聞いてくれたけど、全然あかん。」

 

・・・私の内心、「え?!言うこと聞かせるようにしてたんだ・・・」

 

子供は自由にして育てるべきである。

 

それは、「親は子供考えをすべて受け入れる」「子供を甘えさせる」「子供の言ったことが全て正しい」「子供は万能な生き物」くらいでちょうど良いと思う。

 

私の経験からだが、

年長のとき娘がこう言ったことがある

 

私の娘「地球の外側ではキラリちゃんが星を作っているんでしょ」

 

私「そうだね、作ってるかもしれないねー。キラリちゃんを探してみたら」

 

娘はアンパンマンに出てくるシーンからそう考えていたのだろう。

 

でも、ここで「違うよ、星っていうのは・・・」なんて言えば

せっかくの子供の純粋な想像力まで伸びなくなってしまう。

 

 

それくらい、子供の言うことすべてを肯定することが大切である。

なぜなら、大人になったときにすべて自己肯定できる人間になれるからだ。

これは、人生をうまくやっていくと感じるには必要要素である。

 

 

大抵の場合、ここで母親たちにに生まれてくるのが不安だ。

 

ワガママにならないか・・・、そのまま何も知らないで育たないだろうか・・・

 

ここで親の立ち位置が重要になってくる。

 

 

親はワガママにならないようにするために

「人を利用ようとする、騙そうとする、馬鹿にする、人のせいにする」ことへは叱らなくてはならない。

あと、「生死を左右する、怪我をする」ことへも否定しても良いと思う。

 

上記以外は0歳から全部子供の言うことをすべて肯定するべきだ。

 

あとは、マナーである。これはある程度の年齢にならないと子供には解らないのと、社会生活の経験を持たないと子供には理解出来ない。

そして子供が自らマナーを考えていかないと、大人が言って聞かせるだけでは無駄である。

 

 

何も知らないで育たないであろうかという疑問にも、大人が出来ることがある。

 

子供が楽しく勉強できる環境を整えるのは親の責任だ。

 

キラリちゃんが星を作っているかもしれないと思っていて何で行けないのか。

死ぬわけでもなし。迷惑かけるわけでもなし。

こういうときは親が子供に早く理解らせたいと思っていることが大抵だ。(自分もかつてそんなことがあったな・・・)

 

でも実はこれが真逆で、キラリちゃんが作っていると思っていたのに違った!の方が子供は学習するのである。

 

重要なのは星のことが理解るプレネタリウムや本、科学館へ行くことで楽しく学べることだ。

 

そういえば、子供同士が喧嘩したときにどうするかというと、

ほとんどの親は我が子に「なんでそんなことしたんだ、相手に謝れ」と言っている。

 

これも、子供を否定していて、実はそれに至るまでの我が子の思いに気づいていない。

 

精神障害でもそうだが、そうなるに至った経緯を聞くと必ず本人には「思い」があるのだ。

 

先に「どうしてそんなことをしたのか」気持ちを聞くのが先である。

 

まず自分が大切にされないと、謝る気になれないのは大人も子供も一緒だ。

 

親はいつでも子供の安全基地であることが、子供にとって自己肯定できる最大の環境である。

 

 

そして、最後に、子供は失敗して学んでいくものである。

 

大人は子供より経験が多いので、つい先回りして教えてしまう。

 

ホールでその娘のお母さんが「ここが一番観やすいから」と言っていたのも、

先回りだ。

 

子供が失敗するのは理解っていても、

 

その子にとって少しだけ難しいレベルのことを頑張らせて、

 

黙って見守ることが出来れば、

 

子供は勝手に伸びていくものであり、自立して行けるはずだ。

 

 

ここで最初に話を戻すが、

 

その娘の母親は、「子供を持つ」感覚である。

 

その娘の母親の考えが中心でその子供はモノである。

 

子供を自分の思い通りに動かしたいのであろう。

 

だから言うことを聞いてくれない子供に腹を立てる。

 

更に言うと、大抵の場合は親から自分受けた幼少期の教育が関係している。

 

親自身が子供のときにも思い通りにさせてもらえなかったんだろう。

 

 

その娘に関してだが、

8歳すぎた頃から子供は自分を客観的に観れるようになるらしい。

(いわゆる8〜10歳の壁と言われる、まだ私の娘は7歳なので知らないが)

 

「お母さんなんで怒っているの」

 

の意味は、自分の置かれている状況が理不尽であると理解っているんだろう。

 

なんて、賢い娘だ。「なんで?」と、お母さんにはちゃんと質問している。

 

本当は、「娘はちゃんと成長してるんだ!」と母親が思えたらなんて楽なんだろう。

 

 

この時、私はうまく説明出来る状況ではなかったのと、その娘の母親自体も相当ストレスが溜っているようで、「自我が芽生えてるんだね!」としか言えなかった。

 

そのことについて考えてくれればいいが・・・・

 

 

こういう状況はかなりの頻度で見かける。

 

親への教育の機会がなさすぎるのが原因かもしれない。

 

子供の発達への知識があれば、親は楽になれる。

 

それから世の中のお母さん達も余裕がないのだろう。

 

子供の考えを全て受け入れる、話を聞くのはかなりの体力を消耗する。

 

私も疲れているときは、なかなか出来ない。

 

そういうときは7歳の娘にこう言っとく。

 

「悪いけど、お母さん今日は疲れてるからゆっくりさせて・・・」

 

7歳の娘はしっかり聞いてくれる。

 

ただ、3歳の息子には通用しないが・・・笑

 

 

「子供の権利」というのを新聞で見たが、これはもっと社会に浸透するべきである。

 

 

 

 

ゴミ屋敷解決に解決に向けてへの過程6【精神科通院3回目】【ゴミが捨てられない障害】

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今日、母と一緒に精神科へ行ってきた。

 

前回の通院は、母・・というより、私の話を先生に聞いてもらって、私の不安が払拭される回だったので、

 

今日は、母がじっくり先生と話が出来れば良いと思っていた。

 

 

先生が、「最近はどうですか?」

 

と母に聞いて 、

 

母は、硬筆の教室の先生をやっているが、毛筆の資格をとるのを目指して頑張っていること、

 

近所の人に誘われて、卓球をやり始めたことを先生に語った。

 

 

そう!かなりポジティブな話に変わったのだ!

 

 

先生も、いいですねー、すごいですねー

 

と母を褒めるように言ってくれていた。

 

 

「で、家の方はどうですか?」と先生が尋ねると、

 

母は、「片付けのやる気はあるんですが、、やる気は凄くあるんですが、片付けはううーん、できないです」

 

先生「わかりました、、気分の抑揚はどうですか?」

 

母は、最近気分の抑揚はあまりなくなっているらしい。

 

 

先生が、

 

「多分あまり効かない可能性が高いが、(前の処方とは違った)他にも薬があるので試してみますか?」と母に聞くと

 

母は薬に抵抗があるようで、飲まないと言った。

 

 

ま、それでいいと私は思った。私自身も、薬を使ったからといって早く母が良くなるような気がしない。

 

「では薬なしで、治療していきましょう」と、先生は言ってくれた。

 

母は退出して、私が先生と話をすることになった。

 

 

「どうですか?」と聞かれたので、

 

前回の通院後の喫茶のときに、母が泣いた話をした。

 

それから、片付けに関してはどうも進まないという話をした。

 

先生は、「片付けができるようになるまでは、時間はかかると思います。」

 

と言っていた。

 

「そうですよね〜、何かきっかけが必要でしょうか?」と私が聞いたら、

 

先生は「きっかけはあったほうがいいですね、無理のないきっかけが・・・」

 

 

↑↑

この「無理のないきっかけ」という先生の言葉のおかげで、後々ひらめいた。

 

 

いつも通り喫茶をしながら、片付けが進まない話を母に聴くと・・・・

 

やっぱり、すごくやる気はあるみたいだ。

 

でもできない・・・

 

 

なるほど、そりゃそうだと思った。私自身、片付けしなくてもよけりゃ毎日どれだけ楽チンか。

 

よっぽど趣味でもないかぎり、みんな片付けの無い生活をしたいものだ。

 

でも、生活の中に片付けする習慣が自分にはあるな、と思った。

 

そして、母にもそれを作らなきゃいけないのかなと思った。

 

 

そこで思い出したのが、NHKの100分で名著のヘミングウェイシリーズで出ていた、

 

「ルーティン」だ。

 

片付けくらいなら習慣って言えばいいのだろうが、

 

ここはあえて母には「ルーティン」という言葉を使って、

 

説明してみた。

 

母は早朝から仕事をしているが、それもルーティンだと考えて、

 

何時くらいが片付けしやすい時間なのか聞くと、

 

午後3時くらいが、日もポカポカしてやる気が出そうだと言うので、

 

その時間を片付けする時間にをしようと言うと、

 

母が言った言葉にびっくりした。

 

母「じゃあ、3時〜5時くらいか」

 

私「ええ!!2時間も片付けしなくてもいいよ」

 

そう、神経質=頑張り屋の母には、片付けは2時間もしなきゃ意味がない!と思っているらしい。

 

それこそがそもそもの負のスパイラルへの入り口だ。

 

私が母に伝えたこと・・・・・・・・・・・

 

母には、毎日することだから2時間もしなくて良いと伝えた。

 

30分や15分でもいい、片付けが出来るようになるより、その時間になったら片付けをするというルーティンを作ることをまずやろう。

 

ということを母に提案した。

 

というのも、先生が言っていた、『無理のないきっかけ』というのが大切だと思ったからだ。

 

 

参考にだが、私の経験として、小学校1年生の娘に自立して勉強、宿題が出来るようになるために工夫していることがある。

 

勉強の時間が来たら、勉強時間をタイマー15分に設定して、その後5分休憩して、それからまた15分勉強する、休憩するを繰り返して、

 

小学1年に無理のないように勉強時間設定をしている。

 

 

この無理のない設定は、出来ない母には大切なことかもしれない。

 

宿題を初めてした小学1年の娘と同じ感覚なんだと思う。

 

話がずれるが、精神障害についての接し方は、教育での子供との接し方はほとんど一緒だなぁと感じている。

 

そういう意味では、大人といえど、幼児や小学生と同じ感覚で教えていけばいいのかもしれない。

 

ちなみに、現代の子供の教育理論での根幹は『自発的に物事に取り組んでいける環境作り』だと考えていい。

 

大人がああしろ、こうしろ、という教育は間違っているということだ。

 

大人がすることは、子供が自ら取り組めるように環境だけ作ればいい。

 

この環境というのは、物理的な環境だけではない。関係性や言葉掛けや時間のとり方など、色んな意味を持っている。

 

そう、大人が子供にしてあげている事、全てが環境なのだ。

 

だからこそ「自分からやりたい」と思わせるにはどうしたら良いかの発想力が、教育する側に求められる。

 

 

この子供の教育と同じ接し方をを精神障害をもつ人にも必要なのだと思う。

 

ただ、かなりの知識が必要だ。

 

そういう意味でも、教育者は勉強し、経験豊富であることが必要だ。

 

 

さすがに教育者としては難しいかもしれないが、病気を理解しようとするためにも、精神障害について勉強しようとする姿勢も大切だと思う。

 

 

話がずれたが、

 

母には毎日午後3時から30分だけ片付けをルーティンにする、30分経ったら片付けをやめることを決めた。

 

やってみた結果を次回の通院のときに先生に報告する。

 

そして、もし出来なかったことがあれば、次回通院のときに先生に相談しようと決めた。

 

これを決めたことで、母は気づいたことがあるらしい。

 

母は「宣言するって大切やな」って言っていた。

 

人に言う事で、行動に移せるって確かにある。

 

まさにそういうことなんだ。

 

やる気があるけど、行動に移せないときは

 

宣言することは大切かもしれない。

 

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